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	<title>o xein’, angellein... &#187; 言葉</title>
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	<description>思想・文化・IT・ビジネス系の書評、ウェブについての考え事、好きなクラシックや古楽などについて書いているブログです。</description>
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		<title>『君たちはどう生きるか』</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Jan 2008 02:06:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamma_ut</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>
		<category><![CDATA[言葉]]></category>
		<category><![CDATA[B.パスカル]]></category>
		<category><![CDATA[丸山眞男]]></category>

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		<description><![CDATA[年末に立ち寄った古本屋でMくんの勧めを思い出して購入し、丸山眞男（真男）が文章を寄せていたのもあって読んだ。思えば去年はさっぱり本を読まなかった気がするが、これはかなりの収穫だった。Mくんがどういう思いで私に勧めてくれた [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>年末に立ち寄った古本屋で<a href="http://gamma-ut.net/blog/archives/682">Mくんの勧め</a>を思い出して購入し、丸山眞男（真男）が文章を寄せていたのもあって読んだ。思えば去年はさっぱり本を読まなかった気がするが、これはかなりの収穫だった。Mくんがどういう思いで私に勧めてくれたかはわからないけれど、このレビューをもって感謝としたい。</p>
<p>*</p>
<p>　「偉人伝」の類を読んだことがあるだろうか。啓蒙やヒューマニズムという言葉がそのままでは通用しない最近ではあまりもてはやされないだろうが、私の記憶の中にはライト兄弟が飛行機を飛ばすまでの苦労が書かれていた本が残っている。内容はもうあやふやだが、せんべいかなにかを食べながら読んだせいでその本がちょっと醤油色に汚れていたことだけは妙に覚えている。せんべいで汚しては褒められたものではないが、多くの人は昔の人の伝記や話を一つや二つは見聞きしたことがあるだろう。しかし人がみな偉人であるわけもなく、水の中に溶けた一滴の墨汁のように過ぎ去っても拭いがたい後悔と罪とを感じながら生きている人もまた、少なくないだろう。この本は一応少年少女向けの本だが、自分の心のどこかにそうした沈殿がある人にも読んでほしい本だ。さて醤油味のせんべいは出てこないが、この本の中でも主人公で中学生の本田潤一君・通称「コペル君」が学校の友達水谷君のお姉さんからナポレオンの偉大さ、英雄的精神（お姉さんいわく「人間が人間以上になること」）を吹き込まれてすっかり感動するところはちゃんとある。</p>
<p>　話の舞台はこの本の初版が出た戦前の東京で、コペル君はなかなかいいところの坊ちゃんだ。お父さんはもう世を去ったが家は女中さんを一人雇っている。そのコペル君が中学の友達と遊び、時に大学を出たばかりの叔父さんと話しながら成長する過程が順に書かれ、合間合間に話を聞いた叔父さんの意見のメモとして「おじさんのノート」が入るという構成でこの本はできている。コペル君は聞いたばかりのナポレオンの話を興奮しながらおじさんに話したようだ。おじさんはナポレオンがいかなる点で尊敬すべき素晴らしい人格であり、またある点では必ずしもそうではないことを綴る。それもまた良いのだが、その後のエピソードとおじさんの言葉がとても印象的なので引用する。ナポレオンはエルバ島を脱出した後ワーテルローの戦いに敗れ、ヨーロッパ脱出も失敗し、イギリスの軍艦「ベルロフォーン号」に乗せられてイギリスに連れられてきてしまった。プリマスの港はヨーロッパを混乱させたにっくきナポレオン、長年にわたりイギリスの宿敵であったナポレオンを一目見ようという人々で埋まっている（注は引用者）。<br />
<span id="more-777"></span></p>
<blockquote><p>
　イギリスに着いて以来、ナポレオンはずっと船室にとじこもったまま暮らしていたので、波止場に集まった人々は彼の姿を見たいと思っても見ることが出来なかった。ところが、ある日、ナポレオンは久しぶりで外の空気に触れたくなり、とうとうその姿を甲板にあらわした。</p>
<p>　思いがけず、有名なナポレオン帽をかぶった彼の姿を、ベルロフォーン号の甲板の上に認めたとき、数万の見物人は思わず息を呑んだ。今まで騒ぎ立っていた波止場が一時にシーンとしてしまった。そして、その次の瞬間――、コペル君、どんなことが起こったと思う。数万のイギリス人は、誰がいい出すともなく帽子を取って、無言で彼に深い敬意を表して立っていたのだ。<br />
　<br />
　戦いにやぶれ、ヨーロッパのどこにも身の置きどころがなく、いま長年の宿敵の手に捕えられて、その本国につれて来られていながら、ナポレオンは、みじめな意気阻喪した姿をさらしはしなかったのだ。とらわれの身となっても王者の誇りを失わず、自分の招いた運命を、男らしく引き受けてしっかりと立っていたのだ。そして、その気魄が、数万の人々の心を打って、自然と頭を下げさせたのだ。何という強い人格だろう。</p>
<p>　――君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。</p>
<p>　君も、いまに、きっと思いあたることがあるだろう。</p>
<p><cite>吉野源三郎『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003315812?ie=UTF8&#038;tag=gamma%5Fut-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=1211&#038;creativeASIN=4003315812">君たちはどう生きるか</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=gamma_ut-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=4003315812" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』（岩波文庫）、p.193ff.</cite></p></blockquote>
<p>　「いまに、きっと思いあたることがあるだろう」という言葉はそのまま伏線となって、まもなくコペル君を巻き込んだ事件が起きる。コペル君はナポレオンの話を共に聞き、友情を誓い合った水谷君、北見君、浦川君――家が貧しい浦川君については機会があればまた別途書きたい――をある仕方で、それもその3人の目の前で裏切ってしまうのだ。</p>
<p>　わりかし気の強い北見君は前々から上級生に目をつけられていて、仲良しの4人は万一北見君になにかあったら共に対抗しようと、ナポレオンの話を聞いた日に英雄的精神のもとで誓ったのだった。ある雪の日、校庭で遊んでいた時のちょっとした事故からとうとう北見君は上級生たちに因縁をつけられてしまう。最初に北見君と水谷君がつかまり、上級生と向き合っているところに騒ぎを聞きつけた浦川君が飛び出す。しかし主人公のコペル君は3人が殴られて騒ぎが収まるまでついに野次馬の群れの中から前に出て行くことができなかった。上級生の「制裁」が終わり見物人たちが去った後で他の3人が共に理不尽な目に遭った者としてうるわしい友情に輝いているのに対し、誓いを守れなかったコペル君はみじめな、とてもみじめな気持ちを味わう。コペル君は偉人からはるか遠ざかり、卑怯者に、弱弱しい、小さな善人になってしまった。</p>
<p>　ちょっとしたタイミングで思っていたことを言い出せない、考えていた行動をとれないということは時として出くわすことだろう。しかしある時になにかを言い出さなかった、なにかをしなかったというのもまたひとつの、そして取り消すことのできないことがらなのだ。場合によってはそれは――少なくとも主観的には――重苦しいものを導く。人はそれを悔やむ。きわめて人間的に悔やむ。コペル君も悔やむ。もうこのまま友達を失ってしまうのだろうか。わざとではないが、結果として裏切ってしまったことをどう謝ったらいいのだろうか。コペル君は迷い、床に臥して学校を休んでしまう。思い悩むある日、おじさんが家に来て、コペル君は思い切って胸の内をおじさんに明かす。おじさんはコペル君の悩みを理解しつつ、ただ思い悩むのではなく率直に謝るというふさわしい行動に移すべきだと、その上でもう他人の心を詮索するのではなくて運命に耐えるべきだと諭す。</p>
<blockquote><p>
君が素直に自分の過ちを認めれば、北見君たちは機嫌を直して、元通り君と友だちになってくれるかも知れない。あるいは、やっぱり憤慨したまま、君と絶交しつづけるかも知れない。それは、ここでいくら考えて見たってわかりゃしないんだ。しかし、たとえ絶交されたって、君としては文句はいえないんだろう。だから――、だからね、コペル君、ここは勇気を出さなけりゃいけないんだよ。どんなにつらいことでも、自分のした事から生じた結果なら、男らしく堪え忍ぶ覚悟をしなくっちゃいけないんだよ。［略］過去のことは、もう何としても動かすことは出来ない。それよりか、現在のことを考えるんだ。いま、君としてしなければならないことを、男らしくやってゆくんだ。こんなことで――コペル君、こんなことでへたばっちまっちゃあダメだよ。</p>
<p><cite>吉野源三郎『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003315812?ie=UTF8&#038;tag=gamma%5Fut-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=1211&#038;creativeASIN=4003315812">君たちはどう生きるか</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=gamma_ut-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=4003315812" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』（岩波文庫）、p.234f.</cite></p></blockquote>
<p>　「男らしく」という言葉が二回も使われていることにはいろいろな異議がありそうだ。それにこのコペル君の場合ほどはっきりと彼我の善悪が分かれてしまうこと、それが共通の認識となることというのもそう多いわけではない。むろん、謝ってもすまないこともある。しかしそこをさし引いても、おじさんの言葉は人が自らと向き合うこと、そして他人との関係を考えることへの助けと励ましになるように私は感じた。おじさんはただ行動を勧めているのではなくてそれを選ぶ精神であることを勧めているのであり、その言葉は人間が人間以上になることについてではなく、人間が人間であることについて述べていると言えよう。それは力強さを誇ることでもなければ卑屈になることでもない。好かれようと媚びることでもなければ嫌われることを闇雲に恐れることでもない。コペル君はこのおじさんの言葉を聞き、決意して謝りの手紙を書く。コペル君たちの友情がその後どうなったかは伏せるが、床に臥しているコペル君にお母さんが話すなにげない思い出の点描もまた別の仕方で人間のあり方を示唆しているということだけ記しておこう。</p>
<p>　ところで最初に丸山眞男が文章を寄せていると書いたが、著者の吉野源三郎は岩波書店の編集者で（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E6%BA%90%E4%B8%89%E9%83%8E">Wikipediaの吉野の項</a>）、丸山とも親交があった。丸山がこの本の掉尾に寄せた文は吉野が世を去ったあとでの追悼文である。丸山はその中でこの本が社会科学的な認識の方法を平易に語っていることを称え、そして自らが過去に犯した過ち、のどに刺さったトゲのようなそれを吉野への感謝の念からひっそりと、しかし誠実に告白している。丸山は大学を出て「おじさん」の年齢のころにこの本に出会い魂を揺るがされたという。22か23の頃だろう。私も、この本はコペル君の年齢の人だけではなく、もっと年をとった人が自身を省みながら――あるいはまた、偉人というものについて考えながら――読む本だと思う。</p>
<p>　長くなった。最後に、おじさんが引いているパスカルの語句を掲げておく。</p>
<blockquote><p>
　「人間は、自分自身をあわれなものだと認めることによってその偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。樹木は、自分をあわれだとは認めない。なるほど、「自分をあわれだと認めることが、とりもなおさず、あわれであるということだ」というのは真理だが、しかしまた、ひとが自分自身をあわれだと認める場合、それがすなわち偉大であるということだというのも、同様に真理である。だから、こういう人間のあわれさは、すべて人間の偉大さを証明するものである。……それは、王位を奪われた国王のあわれさである。」</p>
<p>　「王位を奪われた国王以外に、誰が、国王でないことを不幸に感じる者があろう。……ただ一つしか口がないからといって、自分を不幸だと感じるものがあろうか。また、眼が一つしかないことを、不幸に感じないものがあるだろうか。誰にせよ、眼が三つないから悲しいと思ったことはないだろうが、眼が一つしかなければ、慰めようのない思いをするものである。」（パスカル）</p>
<p>［略］</p>
<p>　コペル君。このことを、僕たちは、深く考えて見なければいけない。それは僕たちに、大切な真理を教えてくれる。人間の悲しみや苦しみというものに、どんな意味があるか、ということを教えてくれる。</p>
<p><cite>吉野源三郎『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003315812?ie=UTF8&#038;tag=gamma%5Fut-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=1211&#038;creativeASIN=4003315812">君たちはどう生きるか</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=gamma_ut-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=4003315812" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』（岩波文庫）、p.249f.</cite></p></blockquote>
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<div class="imospec">岩波書店<br />1982-01</div>
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		<title>風という字 -補足</title>
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		<pubDate>Wed, 26 Dec 2007 11:28:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamma_ut</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>
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		<description><![CDATA[m_um_uさんのちょっとした勘違いのおかげで風についてのこの言葉を思い出したので書いておきます。空を飛び続け、空に消えた文学者サン＝テグジュペリらしい言葉かもしれません。

精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://twitter.com/m_um_u/statuses/532010002">m_um_uさんのちょっとした勘違い</a>のおかげで風についてのこの言葉を思い出したので書いておきます。空を飛び続け、空に消えた文学者サン＝テグジュペリらしい言葉かもしれません。</p>
<blockquote><p>
<strong>精神</strong>の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて<strong>人間</strong>は創られる。<br />
　　<cite>サン=テグジュペリ、堀口大學訳『人間の土地』（新潮文庫） p. 232</cite>
</p></blockquote>
<p>（訳者の堀口大學については以前<a href="http://gamma-ut.net/blog/archives/708">こちら</a>で書きました。）</p>
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<div class="imotitle"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102122028/gamma-ut_22/">人間の土地 (新潮文庫)</a></div>
<div class="imospec">堀口 大学<br />新潮社<br />1955-04</div>
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		<title>風という字</title>
		<link>http://gamma-ut.net/blog/archives/772</link>
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		<pubDate>Tue, 25 Dec 2007 09:15:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamma_ut</dc:creator>
				<category><![CDATA[言葉]]></category>
		<category><![CDATA[語学]]></category>
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		<description><![CDATA[Twitterを眺めてたら「風という字のかたちが怖い」という話があって、いわく「逆さにしたコップの中の虫が、ズリズリ歩いてる感じ」(cielbleuさん)なんだそうな。そう言われるとなんで風の字のなかに虫の字が入っている [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>Twitterを眺めてたら「風という字のかたちが怖い」という話があって、いわく「<a href="http://twitter.com/cielbleu/statuses/531352542">逆さにしたコップの中の虫が、ズリズリ歩いてる感じ</a>」(cielbleuさん)なんだそうな。そう言われるとなんで風の字のなかに虫の字が入っているのか、誰にも頼まれていないのに気になる。世界の果てで虫が息を吐き出しているのだろうか。いやそれとも虫が風を作るバタフライ効果か。気になるのでとりあえず手もとの辞書を引いてみる。</p>
<p>　辞書は最新のものではないことをまず断っておいて、三省堂の『漢辞海』(第一版)に載っている『説文解字』を訳したものを更にまとめると「風には方角に応じて八種類ある。風が吹くと虫が生まれ、だから虫は八日で変態する。「虫」から成り、「凡」が音」と。八種類というのは北の風、北東の風、東の風……という具合（正確にはそれぞれに名前がついている）。同じく訳が載っている『釈名』の記述をまとめると「「風」はある地域では口を横にして唇を合わせて発音する。「風」は「氾」である。その気が広くみなぎって物を動かすからである。また別の地域では「風」を口をすぼめ、唇を開いて気を推し出して発音する。「風」は「放」である。気が放散するからである」とのこと。『説文解字』が意味+音の形成文字的成立を説明しているのに対して『釈名』は発音の説明なので、とりあえず後者は今は触れないでおく。と、『説文解字』では「風が虫を生み育むのだから、風の字の中には虫がいるのだ」という説明になる。風媒というわけではなかろうが、風の字の中に生命論と宇宙論が現れる。日本語だと「蚊がわく」の「わく」が自然発生を示すが、海の向こうでは虫が生まれる原因は八つの風にあるとな。</p>
<p>　うむうむ。そこでもう一つ学研『漢字源』（改訂新版）を引いてみる。こちらは甲骨文字・篆文の字体に注目して、「風」の字と「鳳」の字が甲骨文字の段階ではほとんど同じものであったことを書いている。「中国では鳳をかぜの使い（風師）と考えた」とな。そこから篆文に時代が下ると「虫（動物の代表）＋音符凡」であり、「凡」の字は音をあらわすと同時に帆の象形、「帆のようにゆれ動いて、動物に刺激を与えるかぜをあらわす」という説明になる。こちらの説明では虫が「動物の代表」に出世している一方で「風が生み育てる」とまでは踏み込んでいないようだ。</p>
<p>　最後に電子辞書に入っている大修館書店『新漢語林』を引いてみる。形成文字で「虫＋凡」というのは変わらないが、「篆文の虫は、風雲に乗るたつの意味。この虫を付して、かぜの意味を表す」とある。風によって生み育てられていた「虫」はなんと伝説の生き物、大空を舞う龍になっている。風雲急を告げる展開とはこのことか。しかしながら手もとにあるものはこの中辞典3冊。白川静説も見てみたいが手もとに無い。いわんや諸橋大漢和をや。(笑) 字源は古代中国の世界観とセットなのでそっちからも見ないとだめなのだろうな、と思う。漢和辞典と字源説については「<a href="http://d.hatena.ne.jp/akehyon/20071203">漢和辞典を買った &#8211; akehyon-diary</a>」もどうぞ。</p>
<p>　追記:思い出したので<a href="http://gamma-ut.net/blog/archives/774">プチ補足</a>を書きました。</p>

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	</item>
		<item>
		<title>競争、たまご、おこがましい(おまけつき)</title>
		<link>http://gamma-ut.net/blog/archives/748</link>
		<comments>http://gamma-ut.net/blog/archives/748#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 16 Sep 2007 02:03:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamma_ut</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　忘れないうちに書いておく。

たしか競争社会について懐疑的な意見を呈している人に「精子の段階で競争している人が何を言う」と反撃していた人がいた(ネット上で)。反撃としてはあまり役立っていないと思うけれども、そこまで遡る [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　忘れないうちに書いておく。</p>
<ol>
<li>たしか競争社会について懐疑的な意見を呈している人に「精子の段階で競争している人が何を言う」と反撃していた人がいた(ネット上で)。反撃としてはあまり役立っていないと思うけれども、そこまで遡る発想力に感心した。／「競争はダメだから精子は一回に一個です運動」(?)</li>
<li>なぜ未だに子どもは母親の腹から産まれるんだろう？出産は危険だ／医者が足りない／産休取るのが大変というなら安全な人工子宮カプセルから産まれるようにすればいいのではなかろうか。名づけて「こうのとりのたまご」。停電したら大変そうだ。もちろん心情的な反発は大きいだろう。／しかし逆にこれが普及したら自然子宮はどうなるんだろう。こういう話、SFにあるのかな？</li>
<li>しかし心情的な反発と倫理的な問題との違い、あるいは安全性―科学技術／コスト―社会道徳・通念というあたりの話は微妙な話。特に性関連は面倒。試験管ベビーや中絶は許されるのかとか、国民国家と子ども観とか、女性の平等／不平等とか父権制社会とか、高等教育とか啓蒙とか、わーっと話が広がる。国民国家以前の子ども観は「子どもは死んでも次々やってくるもの」みたいなものであったと聞いたことがあるが、水子供養はあっただろうから一つの処世術的思考ではあったのだろうか。</li>
<li>話変わって、ブログにつくネガティブコメント。人権とか名誉毀損とか、実名匿名とかの議論から外したアサッテの方向で言うと、機能分化社会において「常識／良識」ってものがなんとなく共有されてたけれども、結構非常識な人たちがいらっしゃいますね、という話なのではないかな。特に政治・経済系の議論は水準と前提が見えにくいのではないでしょうか。ええ、私は政治も経済もチンプンカンプンなので黙って読むだけです。</li>
<li>「一歩前 君のはそんなに 長くない」というお札でもブログに貼っておけばいいんじゃないかな。生物的な女性には無効だけど…と尾籠な滑稽話でも突っ込んでおこう。この「尾籠」ってのは「をこ」の当て字の音読みなのかな？「をこがまし」は「愚かだ」ということ。</li>
<li>『広辞苑』引いたら「尾籠」はそのようだった。『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487797438/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft">語源海</a>』引いたら中国語の「烏滸」(「愚か」の意)を日本で「尾籠」と当て、音読みしたという。「愚か」から下がかった意への変化は17世紀初期か、との記述あり。伝説的には、海神の末裔という応神天皇との関連ありとの指摘あり(『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487797438/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft">語源海</a>』「尾籠」)。</li>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487797438/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft"><img src="http://rcm-images.amazon.com/images/P/4487797438.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="語源海" border="0" width="120" height="160"/></a></p>
<li>イヤな予感がしたので「おこがましい」を引いたらやはり「をこ・がましい」に由来と書いてある。古い中国語の「烏滸」が先なんですな。「がましい」は「や・かましい」などと同じく「たいへんうるさい意」。本来は中国語で『後漢書(南蛮伝)』に見える「烏滸ノ人(人を笑わせること多いもの、中国南方(広西省)にすむ未開人という)」が語源だそうな(『語源海』「おこがましい」)。</li>
<li>というわけでこのエントリも未開人のものということになりそうで、笑い飛ばしていただければ幸い。「笑いは人間の本性」とラブレーも言っていますから。</li>
<li>そうそう、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487797438/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft">語源海</a>』の杉本先生、しっかり「尾籠」の節に「一種の老人専用語か」と書くのをお忘れにならないのがまたステキ。見事に老人認定。</li>
<li>お、ここまで読まれた？貴重なお時間ありがとうございました。まもなくおまけです。お口直しに米海兵隊軍楽隊(アメリカ海兵隊バンド、United States Marine Band)の演奏をどうぞ。要フラッシュです。曲はJ.P.スーザの「神秘の殿堂の貴族たち」(John Philip Sousa, &quot;Nobles of the Mystic Shrine&quot;「神秘な殿堂の貴族達」とも。)このバンドのサイト、&lt;http://www.marineband.usmc.mil&gt;なのですが、どうも日本から(アメリカ国外から？)はアクセスが弾かれるようです。プロキシ通せば行けるみたいですが、なぜ弾いているかは謎。演奏が転がってるようです。しかし流石にうまい。ライブとは思えません。そうそう、このseeqpodというサイトも便利。それでは<a href="http://www.seeqpod.com/music/?plid=a23c309155"> こちら </a>からどうぞ(音が出ます)。</li>
</ol>

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		<title>松岡正剛、蘇軾、そして教養</title>
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		<pubDate>Thu, 30 Aug 2007 08:50:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamma_ut</dc:creator>
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			<content:encoded><![CDATA[<p>いま松岡正剛氏の『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763007211/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft">ちょっと本気な千夜千冊虎の巻</a>』を読んでいて氏一流の「編集術」と読書量にただただ圧倒されている。「千夜千冊」を見ていてもそうなのだが…この本についてはいずれ改めて書きたいと思う。正直ここまで本を読み進めること、そして世界の時空を関連づけることは並の人にできることではないし、氏がそれを生業と結びつけられてきたことも一種の幸運だろうと思うのだが、「私はとてもこの才能に及ばない」と思うのもまた一つの読書の仕方ではあるだろう。<br />
　むろん松岡氏も一朝一夕にして今の氏になったわけではなく、当然何十年もの読書の遍歴と経験の蓄積を通して今に至ったのだろう。最近その集成を出版されてメディアの露出度・知名度が上がっているのもその賜物だ。その彷徨を垣間見る時、私は「教養」という言葉に思いを馳せる。もちろん氏はこの明治的西欧的な言葉をも呑み込んでさらに日本的な方法のあり方を模索しているわけだが、単に博覧強記、雑学王といった形容とは程遠いその縦横無尽さは目を瞠るばかりである。氏の方法論的なアプローチを私がまだ充分に理解していないのがもどかしく、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061494856/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft">知の編集術</a>』『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910674/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft">日本という方法</a>』『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480089357/gamma_ut-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft">フラジャイル</a>』といった本たちも読みたく感じる。<br />
　このような氏の仕事とアカデミズムがどういう関係にあるかというのはまた別の、そして大学・学術の歴史と現代に絡んだややこしい問題になると思う。単なる推測だが学術的な仕事に携わる人々は時に出てくる聞きなれない話、あるいは時に各分野の「常識」に反する比喩的な表現に眉を顰めているのではなかろうか。あるいはそもそも住む世界が違うとして敬遠しているかもしれない。ではもし氏が大学を中退しなかったらどうなっていただろうか。今とはまた違う魅力的な大学人になっていたかもしれないが、ひょっとしたらこうした「千夜千冊」の仕事は生まれなかったかもしれない。むろん、どちらがどうという積もりはない。</p>
<p>　いずれにせよ私の教養と読書歴の無さを痛感させられているのだが、一つ蘇軾の印象深い文を思い出したので原文と訳を書き留めておく。<br />
<span id="more-735"></span></p>
<blockquote><p>
古之人、其才非有以大過今之人也、其平居所以自養而不敢輕用以待其成者、閔閔焉如嬰兒之望長也。弱者養之以至於剛、虛者養之以至於充。三十而後仕、五十而後爵、信久屈之中、而用於至足之後、流於既溢之餘、而發於持滿之末、此古之人所以大過人、而今之君子所以不及也。吾少也有志於學、不幸而早得與吾子同年、吾子之得亦不可謂不早也。吾今雖欲自以為不足、而眾且妄推之矣。嗚呼、吾子其去此而務學也哉。博觀而約取、厚積而薄發、吾告子止於此矣。<br /><cite>蘇軾「稼說送同年張琥」(黄堅『古文真寶 後集』)より</cite>
</p></blockquote>
<p>　明治期の本での当該ページは<a href="http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41015587&#038;VOL_NUM=00001&#038;KOMA=21&#038;ITYPE=0"> こちら </a>(国会図書館 近代デジタルライブラリー)。『古文真宝』は漢文の有名な文章・詩を集めて南宋～元初期にかけて出版されたと見られる本。<a href="http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41015587&#038;VOL_NUM=00001&#038;KOMA=2&#038;ITYPE=0">こちらの目次</a>を見れば分かるが、陶淵明の「帰去来辞」、李白の「春夜宴桃李園序」、諸葛亮の「出師表」などの有名なものが並んでいる。日本にも室町期に伝わり、江戸期にまで重要な影響を与え続けた。大意も示しておくが、漢和辞典を引いただけの素人の訳なので信用しないでほしい。私がこれを読んだのは受験勉強関連のものであるにすぎない。問題では新字体だったが、この「博観而約取、厚積而薄発(ヒロクミテツヅマヤカニトリ、アツクツミテウスクハッセヨ)」という一節は今でもはっきり覚えているというわけだ。張琥は地方に去る同年の友ということだとすれば、お互い何歳くらいなのだろうか。「稼說」は直訳すれば「種まきの話」ということだがどうか。誤訳の指摘、もっといい訳、お待ちしています。</p>
<blockquote><p>
昔の人はその才能・能力が今の人より優れていたわけではなく、自らを養って軽々しく能力を用いず、自身が完成するのを待って普段の暮らしをしていたのは、心配しながら嬰児が大きくなるのを見守るようであったのだ。力が足りないものは自身を養って力をつけたのであり、中身のないものは自身を養って充たしたのである。そうして30歳になってから仕え、50歳になってから爵位を持ったもので、長く屈んでから体をのばし、満ち足りた後になって使い、溢れてしまった余りを流し、満を持してから放つ、こうしたことが昔の人が今の人に大きく優っている理由であって、今の人々がとても及ばない理由なのである。私は若い時に学を志し、不幸なことにあなたと同い年で進士に合格してしまったので、君の合格もまた早くないとは言えない。そして私が今自分自身を力が足りない(からもっと力をつけよう)と考えても、皆がむやみに私を推すのだ。ああ、君はここを去って学問に努めたまえ。広く様々に学んでそれを使うときは控えめにせよ、厚く学を積み少しずつ力を用いたまえ、私が君に忠告するのはただこれのみである。<br /><cite>蘇軾「稼說送同年張琥」(黄堅『古文真寶 後集』)より</cite>
</p></blockquote>
<p>　蘇軾にこう言われるとなんというか言葉がない。私は薄く積んでは使い果たしているようなものだが、たとえ牛の歩みであっても進んでいくしかあるまい。</p>

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