鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』(大和書房、2006年)を読了。演劇に携わる著者らしく、孤独への恐怖・孤独の拒絶という強迫観念からふっと楽になるということを身体を通して実感することからこの「レッスン」は始まる。身体の反応は自分が頭で考えるよりもずっと遅いのだから、自分のしたいことが内からわきあがってくるためには時間と刺激のなさが必要だという。
一人旅が最適だと、僕は思っているのです。最低1週間以上の一人旅。それも、なるべく何もない観光地がいい、という不思議な旅です。
(略)
自分が、「本当は何をしたいのか?」「本当は何を考えているのか?」を知るためには、ちゃんと一定の時間、何もせず、退屈し、孤独になることが必要なのです。
鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』(大和書房、2006年) p.28f.
そうして一人で、誰のものでもない自分の言葉で考える時間は成長に結びつく。
人間は、一人でいる時に成長するのです。
(略)
人に何か言われて、それがどんな意味なんだろう、どうしてそんなことを言ったんだろうと、一人で考えれば考えるほど、あなたは成長します。
逆に言えば、自分一人で考える時間が無ければ、あなたはどんなに立派な話を聞いても、どんなに役立つ本を読んでも、その考えやアイデアは、あなたのものになりません。取ってつけたようで、人は、それがあなたの本当の知識じゃないことを見抜きます。
あなたは、どんなに立派な話を聞いても、成長しないのです。
鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』(大和書房、2006年) p.42f.
こうして孤独への拒絶感を和らげること、孤独と親しくなることから始める著者は「みんな」という言い方、極限状況での人肉食、他人の欲望への敏感さが有能さとなるサラリーマンのあり方などに触れながら日本社会の神として「世間」を名指しする。しかし同時に著者はその「世間」が人間の価値観や人生を完全に規定する力を失い、「中途半端に壊れている」(p.79)と言う。世間という「神」が壊れていなければ、この社会の構成員にとっては世間の目がすべてとなるはずだが、今は必ずしもそうでもないという。
そういった尺度がないのだから、著者がこの競争社会の中でもう一度「いったい、自分にとって勝つことと負けることとは何か?」と問うように薦めるのも自然だろう。「人生が、0か100かしかなければ、こんなに簡単なことはないでしょう。/けれど、人生は、26点とか46点とか67点とかで生きていくものなのです。いえ、生きていくしかないものなのです」「100点以外は、すべて負け組ですか?(略)そういう考え方をあなたに刷り込んだのは誰ですか?厳しい親ですか、厳しい会社ですか、厳しい教師ですか、厳しい自己嫌悪ですか?」(p.87f.)といった言葉たちが、孤独の隣にいる不安・人生への不安を巧みに説明し、考えさせることへ導いている。
ここで触れるのは適切でないかもしれないが、評のためにこの本を読み直し、犯行予告で捕まった元東大生(1)のコメント「理想を持って勉強してきたが、教科書の内容と違う現実があることを知り、日本教育を主宰している文科省に詐欺をされたと思った」(2)との奇妙な照合を感じざるを得なかった。表向きには短絡的にしか見えないこの行動の陰にどれだけの「厳しさ」が渦巻いていたのだろう。
もちろん、この本にはそうした「厳しさ」を引き起こしている不安と共に生きていくヒントが書かれている。手垢のついた言い方で申し訳ないのだが、それは自分の想像と自分を縛る自意識の世界から脱して(それを一気に捨て去るという意味ではない)、よくわからない(が、世間一般の他人と違ってわからないままにもしておけない)身の周りの他者や世界と悪戦苦闘しながら、頼れる人をたまに見つけたり、たまに頼れる人に頼ったり、時には一時撤退なんかもしながら生きていくというやり方に他ならない。えーそれって具体的にはどうなの、というところはぜひ本書で確かめてほしい。キーワードは再度身体、そして贈与などだ。
最後に。孤独と不安を背負って生きていくことはときにつらい。だから、著者が引用している次のメッセージは象徴的だ。
「インターネットの一番の問題点は何だか、鴻上さんは知っていますか?」
(略)
「熱中して学校に行かなくなるとか、仕事がおろそかになるとか、夫婦関係が崩壊するとかじゃないんです。そんなことは、二次的なことです。一番の問題点は、『簡単になぐさめられること』なんです」
鴻上尚史『孤独と不安のレッスン』(大和書房、2006年) p.217
こうしてこの本の議論ははからずしもウェブを介したコミュニケーションの速度という背景を踏まえていることになる。最初に引用した部分での刺激のなさ=「退屈」というポイントがここになって効いているのがわかるのだが、この本は一人一人の生き方についてのものだから、社会的なインフラの話までは展開されずに終わる。
だが壊れかけた「世間」とウェブ時代の生き方を考えるなら、その論点ははずせないのではないだろうか?そこを埋めるような本があってもいいし、隆盛を見せているソーシャルメディアを巡る議論などもそこに関わってくるように思う。
おそらく私がもう少し年を取ったとき、若い人向けのこの本をまたいつか読み返す日が来るだろう。そのときはまた、違った評が書けることだろう(3)。
----- 本筋とは関係ないが、なにかで宮沢章夫が「元早大生」という言い方の不可思議さに触れていて、「元東大生」と自分で書いてみてもやはり不可思議だ。 [戻る]
- 「asahi.com(朝日新聞社):ブログに文科省幹部の殺害予告 脅迫容疑、25歳男逮捕 – 社会」など参照。より詳しくは「realiste0についての覚書」など参照。 [戻る]
- ちなみに、最後に散りばめられている詩句の中に山頭火もあるが、「どうしようもないわたしがあるいている」がなかった。「この旅果もない旅のつくつくぼうし」と並べても劣らない名句だと思うのだが。 [戻る]










































トラックバック
"『孤独と不安のレッスン』" にまだレスポンスがついていません。