昨日は学科の時の友人にふと会いたくなったので、午後に連絡。既婚者なのにわざわざ時間をとってくれるとのことで、ありがたく言葉に甘えることにします。
夜カフェにしようと決まったので、とっぷりと日が暮れたあたりから彼のホームグラウンド池袋に。なかなかコーヒーにはうるさい人なのできっとおいしい所を知っているに違いないと踏んだのですが、期待を裏切らないカフェ、ZOZOÏ(ZOZOI)に連れて行ってもらいました。後で調べたら昼間は相当混雑するそうな(写真は「池袋の達人」さんや「池袋専科*ikeblog」さんからどうぞ)。
そこで彼はベルギービール、私はかぼちゃのチーズケーキとカフェオレを頼んであれこれと雑談。彼は研究を続けながら一般企業で働いてもいる身なので、システムの要件定義の重要さとかフロー改善をもっと評価すべきだとかいう話も出てきます。そうかと思うと、達成した仕事が原理的に残る研究者の幸せ(とその裏にあるセンチメンタルな欲望)とか、どんなに力量が違っても同じ土俵で話を聞いてくれる(1)研究室という幸福な空間(2)とか、そういった話も出てきます。
話しながら口をついて出てきたのが、既に表現された・固定化された他人と目の前に生きている流動的な他人という区別でした。私はこれまで生きてきた経験上前者の他人のほうが相手にしやすいのですが(それが言葉であれ、音楽であれ)、世に生きていれば後者の他人を相手にしないわけにはいきません。後者の他人は私にとっては基本的に恐ろしいものです。しかし、最近になってようやく少しずつ、他の人に対して自分の言葉で自分の気持ちを話せるようになってきたので、後者の他人にも徐々に慣れていくのかもしれません。そして、そうした恐ろしさを分かち合える彼は――私から与えられるものはとても少ないにしても――私にとって大切な友人なのです。
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最近、詩人茨木のり子の死に様を「文学者掃苔録」さんの一ページで知りました。リンク先にある通り、あまりに強すぎる、あまりに格好よすぎるこの世との別れです。しばし絶句してしまいました……。詩人とはここまで強いものなのでしょうか。この話を教えてくれたサイト作者さんに感謝します。
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最後におまけ。
「極私的脳戸」さん経由で知った楽器演奏ビデオ。Hang(Hang Drum)という今世紀にスイスで生まれた楽器だそうです。打楽器の人には有名なのかな?不思議な音がします。
- ま、それも「原理的には」という留保がつくかもしれませんが(参考エントリ。なおこのエントリを書いてくれた方は既にこの世を去りました……)、それでもそれが保障されていることが重要なのかもしれません。 [戻る]
- Et ego in Arcadia という句を思い出します。この「誤読」については逸身喜一郎『ラテン語のはなし
』やこちらを参照ください。 [戻る]









































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