ケータイをもつ辛さ
2008/10/26 (日) 15:32カテゴリー: 日々, 考え事
「からさ」じゃないよ「つらさ」だよ。いやスパイシーなのもそれはそれで面白いかもしれませんが……。え、味覚ケータイですって?
タイトルはなにかと言うと、連絡が来ない・来てもいいはずのことが来ない、そういう時間をぽつねんと待っているのがどうにも重苦しい、ということです。まあ、いずれリミットは来るにしても、要するに私の諦め/明らめが悪いわけです。
しかしその「来てもいいはずのこと」というのも単純に私の思い込みで、本当は来る可能性なんてないのかもしれません。「人の気持ち」というものがあんまり分からないので、見極めがつきません。そしてそれを確かめることも、どうにも憚られる。こういう時私は「神の視点があればいいのに」とつい思うときがあります。「人の気持ち」という雲をつかむようなものに苛立つのです。
別の見方をすれば、情報の伝達チャンネルが相当程度個人的に、しかも緊密になってきたことへの反動なのでしょう。レスポンスがあるべきもの・あってもいいものにレスポンスがないということに苛立っている。悲しんでいる。でも、その苛立ちや悲しみは、私にはいかんともし難い、別なる精神の自由と一体であるはずです。人間は(まだ?)ロボットではないのです。それは悲惨なことでしょうか?さて、どうでしょう。
こう書いてくると、「味覚とケータイ」というのもあながち悪いアイディアではないのかもしれません。話すうちに乾いてきたり苦みばしったり熱くなったりするような。でもスパイシーな会話というのは一体どういう会話なんでしょうね。
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