「あらゆるものの90%はクズ」という法則(?)があるらしい。もともとはSFの話で「SFのほとんどはクズだ」と言われたSF作家が「たしかにそうだ。しかしそもそもあらゆるものの90%はクズだ」と切り返したとかどうとか(1)。「会議の90%は」とか「ネットの90%は」「本の90%は」などといろいろ当てはめてみるとなかなか楽しい法則ではあるが、しかしこれが当てはめられるのはある価値観に従うものだったり、せいぜいのところ人間に従属的なものに留まるだろう。本当に本の90%がそうなら産業はもっと収縮するはずだし、実際にはどこかで誰かが買っているのである。あるいは自己言及的に「『90%のクズ』の90%はクズである」とやるとこの法則は崩壊するし、「宇宙の90%はクズ」と大きくやってみると(実際には90%どころではないだろうが)「それは人間にとってだけだろう」という話になる。クラシックの歴史のなかでも無数の音楽が消えてきたのだろうけれども、それでいいという趣旨を小澤征爾も武満との対談『音楽』で述べていたと記憶している。
個人的なことになるけれども、この一年は就職活動と来年度からの勤め先が決まったのが一番大きな出来事だった。老年を迎えて人生を回顧する時が来てもやはり大きな節目だろう。当初考えていた業界とは違うところに行くことになったけれど、PCとは幼稚園からのつき合いだしそれはそれで面白いと思っている。
内田樹氏のブログに次のような言葉がアップされたのは、秋採用の時期も過ぎ去って私の「シューカツ」がひと通り終わったころだっただろうか。
若者たちは「この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事が存在する」という信憑を刷り込まれる。
もちろん、そのような仕事は存在しない。
だから、「自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事」を探して若者たちは終わりのない長い放浪の旅に出ることになる。
就職情報産業は、若者たちが最初のマッチングで「適職」に遭遇することよりも、いくら転職を繰り返しても「適職」に出会えないことから利益を上げるようにビジネスモデルを構築している。
だから、「適職」という概念を発明したことそれ自体がリクルートの奇跡的なサクセスの秘密なのである。
この思考は「自分の個性にぴったり合ったたった一人の配偶者がこの世界のどこかにいる」という信憑と同型のものである。
だから、就職情報産業は結婚紹介業も副業でやっているはずである。
これも「何度見合いしてもぴったりした人に出会えない」人が多ければ多いほど利益が計上されるようにビジネスモデルが構築されている。
もちろんこれはリアルでクールなビジネスワールドの話であるから、リクルートさんがどのように若者たちに刷り込みをしようと、それは先方の自由である。
でも、誰かが「そういう〈物語〉を信じるな」ということをたまにはアナウンスする必要があると私は思う。
人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
それでもけっこう幸福に生きることができる。
人生はミスマッチ (内田樹の研究室)
ここを読まれる皆さんはどう思われるだろうか。私はこれを(ちょっと乱暴に)「人生はあらかじめ間違っている」とまとめてあれこれ考えてしまった。そもそもいったい「人生を間違う」などということはできるのだろうか。あらゆることを望むこと、望むだけなら好き勝手だから、そうした願望からすればわりと間違うし、間違っているのかもしれない。あるいは、そもそも間違わざるを得ないこともある。自分の容姿が気に入らない、自分の地位が気に入らない云々はよく聞く話だ。言い換えれば、間違いの想像に現実が追いつかないのだ。
ではそうした「すでにして間違っている人生」の90%はクズなのだろうか。ここに法則は当てはまるのだろうか。これまたいくつかの立場から考えることができる。おのれの生のうちで人に役立ったり注目されることなどほんの一瞬でしかないだろう。もう少し言えば、10%に90%が反映する。玉に石が磨かれる。90%はクズと言い切るよりこちらのほうが救いはあるけれども、同時に厳しい言い方でもある。なぜなら10%がそれなりなら90%もそれなりだということになるから。
しかしながら、見えない90%の「ほんとうのところ」は誰にもわからない。おそらく本人にもわからないのだろう。「もしあの時」「もしもっと」というのは心に起きるざわめき、人生のさざ波ではあっても、その可能性を完全に理解するのは人間の業ではない。人間知性の難点を感じるところでもあるけれども、そんな思弁はひとまず措くとして、ここには生のあり方と「最適化された生」、もっともマッチした生という概念が相容れないという事態が現れているといっていい。自らの生は選ぶのではなく、自分で生きるしかない。だから地味でも目標を立ててを着実にまず「できること」からやっていくのがあらゆることの近道(だとされる)わけだ。なにが10%と評価されるかわかったものではないし、目標を明らかにすること・それを明記することの利は安心して進めることだけでなくて、後から悔やまずに済むことにもあるのだ。「面接でわかるのは第一印象だけ」というのもよく言われるが、10%はそこにあるのだし、「横浜逍遥亭」の中山さんが転職に際して「人の中で鍛えられないものはやっぱり本質的に駄目なんだぜ」というのをモットーにされていたのも、ここにつながっていると思う。
そうそう、思い出話を最後に。とある企業で役員の方々を相手の最終面接だったが、受け答えでの説明がイマイチだったせいで批判されるシーンがあった。つい私は「ありがとうございます」という言葉が口をついて出た。批判に感謝を返すのは大学の作法であり、共に真理を目指す学術の徒の作法でもある。しかしそれは企業の作法ではなかったようで、結局そこの面接を通過することはなかった。それもまた、10%である。採用試験を受けた私は友ではなくて敵だったのか今でもよくわからないけれど、私より優れた人が通ったということだし結果はそれでよかったと思う。私も内定を頂いた陰で誰かが落ちたわけだし、この点では私は「適当ブログ」さんのエピソード集、「おもいでぽろぽろ」の結論に同意している。
さてさて、そんな今年もいよいよ今日はおおみそか。実家に帰って散歩していたらちらちらと雪が舞っている。今年もリアル・オンライン問わず多くの方にお世話になった。来年は今年よりもさらに良い年にしたいと思う。皆様どうぞ、良いお年をお迎えください。
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