ブログ更新お休みのお知らせ
2007/11/08 (木) 15:00カテゴリー: web, 日々
表題のとおり更新をお休みします。進行中の論文締め切りが約1ヶ月となり更新している余裕がないのと一区切りをつけておきたいからです。更新なくとも何か身に起きたわけではないので心配無用です。ブクマとかTwitterとかは減らしながら続ける予定ですし。論文の提出が済んだら一応復活する予定です。書くことがあるかどうかは別問題ですが。
すこし前のエントリでも書いたのですが「ブログを書くこと」についてもやもやと考えています。ここで書くことで他人、それも世に公開したものなら無数の人に読まれる可能性があること、従って反発を買ったり思いもよらない心理的重し、しかも避けたかったそれを強いることになること、そうしたことはいつでも見通せない暗がりの中に開けています。それは他人の価値判断、もののとらえ方が常に未来であるのと同じことでしょう。見知っている人ならそれなりの、初対面の人でも役割という視線とともに探りあう地面があるはずですが、それでもその空間にはどこか濃淡と満ち欠けがあります。あるいは自らの言葉に自身を縛りつけ/縛りつけられ苦しまれる人もいるでしょう。そしてまたいかなる言明もなにかを取りこぼし排除し押し込めてしまうことを予期するなら、みずからの言葉の拠って立つところを固めたと思っては崩し崩されること、そうしたことへの覚悟と引き受けがブログを書くことになるのでしょう。そこで欠けているのは無関心・無限の配慮・友愛・よそよそしさ・諦め・傲慢さ・希望・情念のうちいったいどれなのか、それともそれらはあるとき記憶の中に失われたのか、いやディスプレイを消し自身を引き受ける声でささめき距離を測りあうことを取り返すべきなのか、自身の態度を決めかねつつ、むしろなんらかの救いが呼びかけられ尋ねられているのかもしれないと思っています。
ところで話は変わるのですが、素人が書くブログの文章がプロに比べれば稚拙であり論ずるに値しない、いくらでも赤を入れられるというのはたしかに正論、その通りだと思いますが、それだけではネットで文章を綴る人が戸惑い震えながらも生まれつつあることを十分に捉えているとは言えないのではないかと思います。同時代的・リアルタイム的な反応と応答の運動が一つの渦を巻いていること、それが規範の有無を問わず自己運動し始めていることを正負の面で見つめなければならない段階にあるのではないでしょうか。たとえそれらが生じては地に落ちる小さな実にすぎないとしても。
思い出したついでに。リアルでの知人から、ここの文章はどうも私の感情が見えにくいという感想をもらいました。私と話していて何を感じているのかわからない、伝わってこないとかつて他の人に言われたことを思い出しました(もちろんそう感じない人もいるでしょう)。前書いたことと若干重なるのですが、これは私の感想が私にとって重要でないことも多いということ、意見ではなく感想を伝えて場を作る言葉の使い方をしてこなかったこと、これに尽きるととらえています。そもそも私が感情の起伏に乏しく単になにも感じていない、ただ話を聞くことで満足しているのかもしれませんが。同じ事柄を何通りかの書き方で書くことはこの事情を変化させるのに役立つでしょうしやってみたい気持ちもありますが、さしあたりの課題を終わらせてからにしたいと思っています。
それではまた。
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