懇親会 ‐ 思想と現場
2007/09/27 (木) 11:50カテゴリー: 学生時の哲学もの, 日々
昨日(9/26)は夜に「こりゃうめぇ」本郷店で大学の先生方との飲み会があり、途中参加で行って来た。ドイツの先生を呼んで研究室で講演会を行った後で、私は事情で講演会・質疑応答には行けなかったので後の懇親会だけ参加した。講演会と言っても思想・哲学系のごくごく専門的なものなので参加者も10人そこそこだったと思われる。店に着いたら他大の先生も来ていて驚いたが、二列に向かい合った掘り炬燵タイプの席の末席が空いていたので座ろうとしたら、先生に呼ばれて途中の抜けていた席に入った。ちなみに懇親会にはそのドイツの先生、日本人の先生が3名、学生が私含め5名だったのだが、私のその席は右斜め前にドイツの先生、両脇と正面が他の先生方3名という席だった。…イジメですか。(笑)
ドイツの先生は日本語は話せないが、日本人の先生方(4,50代)がいずれもドイツ語の達人なので問題ない。前回他の先生を招待した時もそうだったが、講演会も飲み会も半分以上はドイツ語。そして飲み会でも話題は思想絡みなのだけれども、講演会に出なかったのでどういう話題が出たかイマイチ分からないし、向かいの先生は隣の学生さんと「誰々の全集〇巻では…」みたいな話をし出すし、入り込めない。(笑) そこで隣のわが研究室の先生と話すと南チロルで学会をしてからパドゥア、ヴェローナ、ミラノの大学を回ったイタリア出張の話をしてくださったが、学会はともかくイタリアでは英語もなかなか通じないというお話だった。学会発表でもイタリア人は割とイタリア語のみで、英仏独と訳せる通訳がつくそうだ。なお南チロルというのはオーストリアのチロル地方から国境を越えてイタリア側に入ったところで、保養地・避暑地として有名。
印象深かったのは向かいに座っていた先生が「現場に行かないとだめ」と仰っていたこと。私もたとえば美術史学などでは専門とする美術の「ホンモノ」を見に飛行機で飛ばないとだめと仄聞していたが、思想でもその思想を身を持って体験すること、ある限界的体験と思想とをぶつけてなんとか言語化する、言葉にもたらすという作業が絶対に必要という話には頷かされた。本当に言葉同士だけの研究では、スコラ的とは言わないまでも単なる砂上の楼閣、閉塞的な自己満足(1)に陥る危機感を持っておられるのだと思う。その先生ご自身もある医療の現場に何回も行かれ、得るところ・感じるところ大だったようだ。とはいえ、そう仰る先生方の「言葉」についての理解はとても私の及ぶところではないし、私自身も今後は否応なく現場的な生活になると思うが…。
------ 長い目で見れば必ずしも自己満足とはいえないが、経験と考えとを突き合わせなければ説得力も何もないのではないか。 [戻る]




