なぜオーケストラの人々はお辞儀をしないのか?
2007/09/07 (金) 19:13カテゴリー: 音楽
どこぞの新書みたいなエントリタイトルですが、あらかじめ言うと案は出たものの決定的答えは分かりませんでした。「これだ!」という決定打をお持ちの方はご教示くださいませ。
まず発端はココ。
yamaa オーケストラの演奏会の最後ってどうしてこれでおしまいなのかどうかはっきりしないの?最後に演奏者がみんなで客席に向かってお辞儀でもすりゃいいのに・・・しかも客に対してお礼をするのって常識でしょ! なんか最後はいつもはっきりしないんだよな。もごもご No.437130
なるほど、もっともな疑問です。本プログラムが終わった後のアンコールは言わば「おまけ」ですからその後にお辞儀はないとしても、本プログラムのあとに演奏者全員でお辞儀するということはあっても不思議ではない気がします。実際アマチュアのオーケストラで実践されているところもあるそうですし、こちらのページによると小林研一郎氏は演奏者にお辞儀をさせるそうです。ちなみに経験上、吹奏楽でも演奏者がお礼しないのは同じです。特に理由は聞いたことがなく慣習的なものという雰囲気でした。合唱、バレエなどでも同様だそうです(1)。なお、少人数で演奏するアンサンブル的なものはまったく違い、奏者全員でお辞儀をするのが普通です。
まあこの「演奏会がいつ終わるか」については現代的には「本プロ終了後に照明が客席明転・舞台暗転すれば(そしてお客が全員会場から出て行けば)終わり」と身も蓋もないことが言えるのですが(元発言についた「終わりを決めるのは客という文化」というのも面白いのですが)、関連して「お辞儀をするにしても、なぜ指揮者だけがお辞儀をして演奏者はお辞儀をしないのか?」という疑問が湧いてきました。これがエントリタイトルの疑問です。そこで考えた案をいくつか。
- 美的感覚説
- 教会音楽起源説
- オーケストラ=裏方説
- 貴族文化模倣説
- オーケストラ=楽器説
単純に「見て美しくないから」というもの。ヴァイオリンの人もコントラバスの人も同じようにお辞儀するのは不可能ですし、タイミングもみんなでコンサートマスターをちらちら見て合わせてお辞儀してもバラバラになってしまうのがオチ。だから指揮者だけがお辞儀をすることになった、という説。しかしこの説は「訓練すればどうとでもなる次元の問題だろう」と言われればその通りなのが苦しいところ。演奏者の入場の美しさにかなり注意を払う団体もあるようですし。
西洋クラシック音楽の起源(の一つ)は教会音楽にあるわけですが、そこで演奏された音楽は当然宗教音楽です。演奏したのは教会付きのオルガニストであったり聖歌隊であったわけですが、聴いているのは一見そこに集まっている信徒達のように思えます。しかし、この音楽の演奏終了後(たとえばミサの終了後など)に演奏者であるオルガニストや聖歌隊がそこにいる信徒達にお辞儀をするというのは明らかにおかしい。演奏者は宗教儀式を補助している役割なのですから、お辞儀をする相手はむしろそこで信仰されている対象でしょう。だから、共に儀式に参加している信徒達にはお辞儀をしないという習慣が根づいた…というのがこの説。しかしこれは現代の音楽が世俗化した状況ではやや通用しにくい考えかもしれません。まさか会場の皆さんが一緒に音楽の神様にお祈りしているわけでもあるまいし。それに指揮者だけがお辞儀をする理由がこれだけではよくわかりません。
コンサートを開くようなオーケストラ(管弦楽団)はそもそもは教会音楽やオペラの伴奏者として発達したと考えることもできます。バロック後期から18世紀前半に発展した「シンフォニア」という序曲形式の音楽がやがて独立して「シンフォニー」、つまりある意味ではクラシックの王様である交響曲に発展していきました。よく「交響曲の父」と言われるハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732-1809)の「交響曲第1番」が1759年頃の作とされています。また「オーケストラ」の語源が古代ギリシャ語で舞台と客席の間の空間の名前だったということをご存知の方も多いでしょう。それまで裏方として活躍していたオーケストラが独立していく過程で、全員がお礼をするという慣習が生まれず、ただ代理で指揮者が礼をするということになったのかもしれません。全員がお礼をできるほどオペラ場のオーケストラ・ピット(舞台前のオーケストラが入る空間)は広くないはずです。 参考: 全員が脇役のオーケストラ - Allegro Barbaro [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
というわけでコンサートを開くようなオーケストラはもともと劇や教会音楽の伴奏から発展したのでした。しかしもう一つ、王宮や貴族達の館の伴奏であり楽しみであったオーケストラもありました。いわゆるバロック・ロココ的な音楽空間です。余談ですが、17世紀より前には今とは違って各パートに楽器を逐一指定するという考えはなく、ただ「ソプラノ」「アルト」などとそのパートの音の高低だけが書かれていたようです。さて、こうした音楽空間では演奏家や楽長達が王侯貴族の召使なのは当たり前であり、かつ聴き手が飽きたら演奏も終了、あるいはオーケストラ自体がたとえば晩餐会に華を添える役割に過ぎなかったのではないでしょうか。つまりこの空間ではオーケストラの音楽は一種のBGMであり、始まりも終わりも別段区切られてはいなかったのではないかと考えることができます。なので、一々終わりにお辞儀をしなかったという可能性があります。ここから時代が下って、市民社会とオーケストラの関係もそうした貴族的な慣習を模倣した、と仮説を立てることもできます…が、ちょっと厳しい気がする。
さらにラディカルな説として「オーケストラは楽器だから余計なことはしなくていい」という発想がありえます。というか、いま思いついたのですが。よくブラスバンド(吹奏楽団にあらず。金管バンドのこと)のことを「動くオルガン」と言いますが、同じアナロジーで考えるとオーケストラは指揮者が演奏する非常に多様かつ精巧な楽器であり、かつ楽器であるが故にあくまで音楽にだけ集中するわけです。そしてお客に対するお辞儀などの儀礼はその楽器の「演奏者」である指揮者が、かつ指揮者だけがするという説です。よく曲が終わった後などに指揮者があるパートだけを立たせてお客と共に称えることがありますが、あれはその奏者の技量を「これがいい音を出した/いい技術を発揮した部分だ」として称えていると考えることもできるのではないでしょうか。でもここまで指揮者のワンマンな楽団もないでしょうし、「全体で一つの楽器」としては考えられてもパートの人が「楽器の部分」として思われているとしたらどう思うか…でもプロとしては全体で一つの楽器になって当然という考え方もありえるでしょうし…これもちょっと微妙なところです。
参考にしたのはミルヒェスの『図解音楽事典』(白水社)です。オルガンの仕組みの図とかモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」フィナーレの踊りの場面での役者配置と踊りの種類の配置の対応とかの図版がたくさんあり、見てても面白いのですけれども、このエントリくらい突っ込んだ話題になるとちょっと物足りない。
とここまで書き進めて、渡辺裕氏の『聴衆の誕生』(春秋社)あたりにいかにも答えが書いてそうな感じがしてきました(持ってないのですけど)。結局案を出したわりにはっきりした起源はよく分からないのですが、お辞儀する・しない一つにも背景がありうるという例になれば幸いです。
- 演劇ではカーテンコールで全員がお辞儀するということは普通にあるような? [戻る]




