松岡正剛、蘇軾、そして教養

いま松岡正剛氏の『ちょっと本気な千夜千冊虎の巻』を読んでいて氏一流の「編集術」と読書量にただただ圧倒されている。「千夜千冊」を見ていてもそうなのだが…この本についてはいずれ改めて書きたいと思う。正直ここまで本を読み進めること、そして世界の時空を関連づけることは並の人にできることではないし、氏がそれを生業と結びつけられてきたことも一種の幸運だろうと思うのだが、「私はとてもこの才能に及ばない」と思うのもまた一つの読書の仕方ではあるだろう(1)
 むろん松岡氏も一朝一夕にして今の氏になったわけではなく、当然何十年もの読書の遍歴と経験の蓄積を通して今に至ったのだろう。最近その集成を出版されてメディアの露出度・知名度が上がっているのもその賜物だ。その彷徨を垣間見る時、私は「教養」という言葉に思いを馳せる。もちろん氏はこの明治的西欧的な言葉をも呑み込んでさらに日本的な方法のあり方を模索しているわけだが、単に博覧強記、雑学王といった形容とは程遠いその縦横無尽さは目を瞠るばかりである。氏の方法論的なアプローチを私がまだ充分に理解していないのがもどかしく、『知の編集術』『日本という方法』『フラジャイル』といった本たちも読みたく感じる。
 このような氏の仕事とアカデミズムがどういう関係にあるかというのはまた別の、そして大学・学術の歴史と現代に絡んだややこしい問題になると思う。単なる推測だが学術的な仕事に携わる人々は時に出てくる聞きなれない話、あるいは時に各分野の「常識」に反する比喩的な表現に眉を顰めているのではなかろうか。あるいはそもそも住む世界が違うとして敬遠しているかもしれない。ではもし氏が大学を中退しなかったらどうなっていただろうか。今とはまた違う魅力的な大学人になっていたかもしれないが、ひょっとしたらこうした「千夜千冊」の仕事は生まれなかったかもしれない。むろん、どちらがどうという積もりはない。

 いずれにせよ私の教養と読書歴の無さを痛感させられているのだが、一つ蘇軾の印象深い文を思い出したので原文と訳を書き留めておく。

古之人、其才非有以大過今之人也、其平居所以自養而不敢輕用以待其成者、閔閔焉如嬰兒之望長也。弱者養之以至於剛、虛者養之以至於充。三十而後仕、五十而後爵、信久屈之中、而用於至足之後、流於既溢之餘、而發於持滿之末、此古之人所以大過人、而今之君子所以不及也。吾少也有志於學、不幸而早得與吾子同年、吾子之得亦不可謂不早也。吾今雖欲自以為不足、而眾且妄推之矣。嗚呼、吾子其去此而務學也哉。博觀而約取、厚積而薄發、吾告子止於此矣。
蘇軾「稼說送同年張琥」(黄堅『古文真寶 後集』)より

 明治期の本での当該ページは こちら (国会図書館 近代デジタルライブラリー)。『古文真宝』は漢文の有名な文章・詩を集めて南宋~元初期にかけて出版されたと見られる本。こちらの目次を見れば分かるが、陶淵明の「帰去来辞」、李白の「春夜宴桃李園序」、諸葛亮の「出師表」などの有名なものが並んでいる。日本にも室町期に伝わり、江戸期にまで重要な影響を与え続けた。大意も示しておくが、漢和辞典を引いただけの素人の訳なので信用しないでほしい。私がこれを読んだのは受験勉強関連のものであるにすぎない。問題では新字体だったが、この「博観而約取、厚積而薄発(ヒロクミテツヅマヤカニトリ、アツクツミテウスクハッセヨ)」という一節は今でもはっきり覚えているというわけだ。張琥は地方に去る同年の友ということだとすれば、お互い何歳くらいなのだろうか。「稼說」は直訳すれば「種まきの話」ということだがどうか。誤訳の指摘、もっといい訳、お待ちしています。

昔の人はその才能・能力が今の人より優れていたわけではなく、自らを養って軽々しく能力を用いず、自身が完成するのを待って普段の暮らしをしていたのは、心配しながら嬰児が大きくなるのを見守るようであったのだ。力が足りないものは自身を養って力をつけたのであり、中身のないものは自身を養って充たしたのである。そうして30歳になってから仕え、50歳になってから爵位を持ったもので、長く屈んでから体をのばし、満ち足りた後になって使い、溢れてしまった余りを流し、満を持してから放つ、こうしたことが昔の人が今の人に大きく優っている理由であって、今の人々がとても及ばない理由なのである。私は若い時に学を志し、不幸なことにあなたと同い年で進士に合格してしまったので、君の合格もまた早くないとは言えない。そして私が今自分自身を力が足りない(からもっと力をつけよう)と考えても、皆がむやみに私を推すのだ。ああ、君はここを去って学問に努めたまえ。広く様々に学んでそれを使うときは控えめにせよ、厚く学を積み少しずつ力を用いたまえ、私が君に忠告するのはただこれのみである。
蘇軾「稼說送同年張琥」(黄堅『古文真寶 後集』)より

 蘇軾にこう言われるとなんというか言葉がない。私は薄く積んでは使い果たしているようなものだが、たとえ牛の歩みであっても進んでいくしかあるまい。

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