「阿久悠をも唸らせた半田健人の歌謡曲鑑賞術(阿久悠追悼に変えて)」(てれびのスキマ さん)というエントリで先日亡くなった阿久悠さんの出ているテレビ番組が紹介されている。メインで映っている半田健人という俳優の方については私は初めて知ったのだが、多芸多才な方のようだ。
[「ジョニィへの伝言」(作詞:阿久悠)の]特徴を「具体化しつつも決めすぎてない」ことと[半田は]看破する。
「[略]J-POPはこうなりたい(あの人に想いを届けたい、とか)という目的がある。それに向かっていろいろなアーティストが、その目的に向かったメッセージの歌詞を書いている場合が多い。
歌謡曲は真逆。
確固たる目的というのはなく、出発点がまずひとつ。で、その曲の結末を今度はリスナーに託す。
主人公なりその歌の使い道は自由ですよ、と。
今はその逆で、そこまでのプロセスを歌詞に埋め込んであるので聴き手側が促される。促すように作ってある。
そのアーティストにものすごく共感してたりとか、愛しているのであればグッとくるんですけども、逆に興味がない人からすれば、ちょっと印象が薄いかな、というのが現実ではないか」
阿久悠をも唸らせた半田健人の歌謡曲鑑賞術(阿久悠追悼に変えて)
しばらく前に朝日新聞の土曜版で井阪紘さん(カメラータ・トウキョウ会長)を特集していた。ビクターでプロデューサーを務めた後今の会社を設立。VPOのメンバーも唸る耳と解釈の鋭さの持ち主で、付き合いも長く信頼されている方だそうだ。それなのに正規の音楽教育は受けたことがなく、ただひたすら音楽好きでなんでも聴いてきたという。で、その井阪さんが最近のクラシックブームを評して、結局家族で楽しめるのがクラシックになってしまっているのではないか、クラシックが優れているわけではなくてポピュラーがプアになっているのではないかとバッサリ切り捨てていたが、おそらく上の半田氏の意見もある種の援護射撃にはなるのだろう。
ところで、上のページに紹介されているYouTubeの動画を見ると半田氏が「サウスポー」の伴奏をパート毎に分解しながら説明していて(なぜかベースとドラムはなかったが)「ますだおかだ」という二人組がしきりに感心して頷いている。そこで阿久悠さんがしている「これはすごいお客ですよ。ここまで聞いてくれるんなら[作曲者は]泣いて喜びますよ」というコメントは本心からなのかどうか測りかねるが、以前MIDIで遊んでいた時ちょっとした曲をパート毎に分解して人にきかせたら面白がられたことを思い出した。ひょっとしてこういう音楽の聴き方はわりと音楽好きでないとしない聴き方なのだろうか。それとも例がポピュラー音楽だからひたすら歌手が注目されるだけなのだろうか。あるいは「ますだおかだ」のお二人の感心の仕方があまりに真に迫っているということなのだろうか。
なるべく多くのパートを同時に聴くこと。同時に全ての音を聴きわけること。そこにその音がある必然性を理解すること。私は優れた音楽に透明さは絶対に必要な条件だと思っているが、スピーカーやヘッドフォンを買う人が音質のクリアーさや解像度にこだわったりするという話を聞く限り、そういう音楽の聴き方は珍しくないはずだ。上で引いた井阪さんは開放弦の音かそうでないかも聴き分けてウェルナー・ヒンクにフレージングの指示を出したという。ヴィヴァ・ムジカ!
















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