『作家の生きかた』3 腹話術
2007/07/12 (木) 23:54カテゴリー: 本
Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer.
Jean Cocteau, « Cannes » N°5
このわずか二行の詩を堀口大學はこう訳した。「私の耳は貝のから/海の響を懐かしむ」
昔、耳に貝を当てると海の音がすると教えられて試したことがある。白っぽい貝を耳に当てたが、海の音は聞こえなかった。« aimer »の語を「愛する」「大好きだ」と訳さずに「懐かしむ」と訳した堀口流に言えば、私の耳はそれほどに貝ではなかったということだろう。そこから飛躍して、私がいずれ物言わぬ者に、凝固した者に、貝殻になる日を想像することもできる。その日が来れば、私の耳にもいずこともしれず海の音が聞こえてくるだろうか。
堀口大學は詩をたしなまない私にとってまずなによりもサン=テグジュペリの訳者である。あの『夜間飛行 (新潮文庫)』最後の一文でのリヴィエールの姿、そして『人間の土地』での水への言葉―「そなたは混り気をうべなわない、そなたは不純を忍ばない、そなたは気むずかしい神だ……」―は、今もなお古びず力強い*1。しかしやはり堀口大學といえば訳詩集『月下の一群』*2(1925年―つまり大正14年)であろうし、著者池内紀氏も詩人としての彼に注目している。晩年に良寛を愛した彼は、訳することによって自らの詩的感性を表現する腹話術師だったのだと。その一方で、訳者という存在である限り、作家と違っていずれは新しい訳者に駆逐され、塗り替えられ、忘れられるものだと。ある訳者の名前は、ある時代の記憶・世代の記憶にだけ刻まれるものだと。それは翻訳家の運命であると。
だがこの腹話術師は―腹話術師だからこそ―その名前は残るのではないか、とも夢想する。この訳者は無色透明ではない。自らの感覚で言葉を用い、先行した上田敏とまた違った日本語の世界を作り出した。石井好子氏の「クラリネットをこわしちゃった」の日本語詞が原詩と色彩の異なる世界を生み出したように*3、一語一語横のものを縦にするだけではなく、異なる文化圏に移す。そこに残るのは文学の庭、日本語の泉、詩情のほとばしりであるだろう。だから「日も暮れよ 鐘も鳴れ/月日は流れ わたしは残る」という有名なリフレインも、いくばくかの感傷とともになお古びないのである。恋人達の姿ある限り、恋のハカナサが巡りつづける限り、その詩句も残る。
古さと新しさは、違う。古いものが新しいこともあるし、新しいのは化けの皮だけ、中身は古ぼけていることもある。堀口のコクトーにとっては海が、貝が、耳が、「古いもの」だったのだろう。堀口のアポリネールではそれはミラボー橋であり、セーヌの流れだった。もちろんそれは単に人口に膾炙しただけかもしれない。響きの良いだけの言葉たち。私も、読者のあなたも、それを受け容れないかもしれない。それはそれで良いだろう。私達もまたどこへともなく流れ去り、新しい恋人達がまた橋のたもとに現れるのだから。そしてそれは祝うべきことである。それは「天井桟敷の人々」での祝祭と同じ意味で、祝うべきことなのだ*4。
ミラボー橋
ギョーム・アポリネール
堀口大學 訳ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る流れる水のように恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る日が去り 月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ川が流れる日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
*1:この本には『夜間飛行』は昭和9年の訳とある。その後仮名遣い変化に合わせて改訳もあったのだろうか。文庫本が手元に無いので詳細不明。 追記:新潮文庫版には「訳者あとがき」として、『夜間飛行』では「夜間飛行」が1939年4月、併録の「南方郵便機」が1935年2月と記載がある(サン=テグジュペリが44年になくなった旨の追記が1951年4月付で付記)。『人間の土地』では1955年。実に半世紀を経た訳![7/15]





