『ウェブ社会をどう生きるか』

著者である西垣通氏が提唱する「基礎情報学」の立場から現在のウェブをめぐる状況、とりわけ梅田望夫氏の名を挙げながら「ウェブ礼賛論」なるものに疑問を投げかける一冊。軸となっているのは西垣氏の著作『基礎情報学』*1で述べている事柄と、著者が考えるアメリカ文化への文明史的な見方、そして現在のウェブ状況の分析と提言の三つと読んだ。以下この三つについて順次述べたい。

基礎情報学に関して

「基礎情報学」はまだ新しい学問であり耳慣れない言葉だが、「情報」の範囲を通常我々が考える「コンピュータが処理する対象としてのデジタル情報」から拡大し、個々の生物の中で起きている環境とのやり取り(たとえば視覚として感じられるもの)にまで広げた上で、様々な情報とそれをやり取りする生物のあり方(たとえば視野に感じられた変化を「敵」と認識するなど)に関して考察する学問である。とりわけ重要なのは、情報を小包(パケット)として送信者と受信者の間でやり取りされる、それを客観的に観察することができるという旧来の情報工学的な思考=シャノンのモデルを退け、各々の情報解釈の主体に存在する「バカの壁」とも言うべきものを積極的に認めることである。たとえば人間の心は情報を「入力」されるのではなく刺激を受けて「変容」するだけだという(p.13f.)。我々は客観的に情報が情報解釈の主体―とりわけ人間―にどう受信されたかを観察する術を持ちえないのであるから、あくまで個々の主体に定位した上で世界や他の生物からいろいろな影響を受けてそれぞれが生きている姿をこそ考えねばならない。我々を含む生命体は「客観的世界」に住んでいるのではなく、それぞれの主観的世界に住んでいるのであり、実際に意識するのは「客観的世界」ではなく各人の個別な世界の集まり、つまり「多元的世界(多重的世界)」でしかない。この点で著者が先達として言及するのはユクスキュルである。私としてはマッハやフッサールを持ち出してほしいところだが。(笑)

そしてそのような立場に立つならば、まず生命体でない機械・コンピュータがそのまま生命体と同じように情報を解釈できるという考えは投げ捨てられるべきだということになる。有名なフレーム問題で挫折したことからわかるように、情報とは無数にある状況において生命体がそれぞれの経験や歴史に従って生み出していくものに他ならない。人間と同じレベルでの人工知能へのあくなき追求は徒労に終わるであろう。

こうした個々の情報解釈体はそれぞれがオートポイエティック・システムだとされる。これについては『基礎情報学』に委ね省略化しているが、大切なのは「そもそも情報は伝わらない」という観点だという。私もこの考え方には基本的に賛同する。私なりにまとめると、こちらの送った小包がそのまま向こうに受け取られ同じように解釈されるのではなく、それはあくまであちら側の意味解釈に従って解釈されざるを得ない。さらに言うならば、その意味解釈のコードはこちらには永遠によく分からないのだ(現象学的な言い方を許してもらえば、私は私の意識流を永遠に抜け出せない)。ただしそれでは社会がまがりなりにも成立している事実を説明できない。それを成立させているものが一つには著者が考える「階層的オートポイエティック・システム」であり、一つには「メディア」である(著者はB.アンダーソンの『想像の共同体』に言及)。この「メディア」の語も「情報」同様通常の意味とはやや異なるが詳細は本書に当られたい。ともかく、我々は実はこうしたそれぞれの主観的な世界に生きていると著者は考えている。

ウェブ礼賛論とアメリカニズム

『ウェブ進化論』以降のウェブ礼賛論に対して著者の意見は手厳しい。著者は「IT革命とは、まず第一に生活革命なのです」(p.iii)と述べ、アメリカから波及したウェブ2.0現象に対しては消費者としての一般ユーザーをウェブ/IT革命に巻き込んだとして一定度評価している。その上で著者が論難する問題点とはなにか。管見ながら論点を整理すると以下のようになる。

  1. 民主主義や平等主義とウェブ2.0をセットにして語ることは問題がある。ウェブ上の言論のインパクトはけして均一平等ではなく、正のフィードバックによって有名なものと無名なものの差ははどんどん広がる。Googleの評価システムPageRankもこの構造に則っており、そのような一企業がウェブ上の評価を一手に担う。その上クリティカルな議論では「沈黙の螺旋」現象が生じかねない。これには相当問題がある。(p.69ff., p.82f.)
  2. ウェブ集合知を主張するあまり、既存の専門知を排斥して知の堕落を引き起こしているのではないか。(p.72f.)
  3. ウェブ礼賛論者は貧困国にも富をもたらすことができるという点を主張するが、これは同時にそうした貧困国をグローバリゼーション化し、彼らの中に格差を生むことではないか。特許権・知的財産権が生む利権とも併せて、アメリカは「ウェブ空間というフロンティア」を開拓し支配して富を得ようとしている。(p.107f.)
    • その背景にあるのはアメリカのフロンティア開拓精神。これは誰のものでもない富を分配する際には有効だが他では果たしてどうか。その上、アメリカニズムを神の意思に沿った福音として広めフロンティアを開拓する戦いでの勇敢な戦士になることで情報=小包観、一神教とその正統的解釈・教義を押し広めるモデルに加担している。(p.100,106)
  4. 一見「おちこぼれてきた普通の若者」にエールを送るように見えるウェブ礼賛論だが、それを説く人はエリートでありはなから彼ら若者を相手にするつもりはない。グーグルの創立者も実際にはエリートであり、そこに共通するのは能力差別意識だ。ウェブ礼賛論者の隠れた意図は巨利を得ているグーグルの仲間に入れてもらうこと、アメリカ流格差を日本社会に持ち込むこと、中高年の代わりに自分達が権力を握ることだと思われる。(p.168ff.)

各々の詳細な論点は本書に譲るが、ドキッとさせられるものもあり首をかしげるものもあった。特に「正のフィードバック」と「沈黙の螺旋」の問題は構造的な問題であるからもっと考えられるべきだろう。p.106f.で指摘されている、英語帝国主義への日本人の一種の鈍感さについても同感。

しかしアメリカニズムと一神教に関連した議論は結論ありきの印象を受けた。ユダヤ=キリスト教に限れば著者の言うことも頷けるが、神のお告げ解釈はそもそもあらゆる宗教でよく見られる現象だ*2。著者はウェブ礼賛論者だけではなく、「カトリック」の語義通り「普遍的」な唯一正統・絶対的解釈の是非といった神学的問題にも挑戦する心積もりなのか。とは言え、開拓者―ウェブ礼賛論者(あるいはevangelist!)達の自己認識と歴史が下す評価は確かに別物であるのかもしれないとは思う。ちょうどアメリカを巡ってトニーとマリアを引き裂いたウェストサイドの抗争のように。

それからGoogleに取り込まれかねない「自分という生命体の存在の”意味”そのもの」(p.65f.)といった表現も何を意図しているのか分かりにくい(しかし引用されている佐々木俊尚氏の言及も併せてこれはまたこれで面白い問題)。そこから後段で「自分の生きてきた足跡を自分の手元においておきたい」という心情からグローバリズムを体現するGoogleの検索対象「ではない」地域SNS―ローカリズムの具現化―の中での共有を推奨しているが、あまり腑に落ちなかった*3。これについてはまた考える機会があれば記したい。

ついでに「おちこぼれてきた普通の若者」に対する呼びかけはウェブ礼賛論者の「欺瞞」とする著者の主張も引っかかった。まあこれには名指しされている梅田望夫氏がどう応えるかだが、試しに梅田氏とたとえば雨宮処凛氏との対談を見たくなった。太田出版あたりからいかがでしょうか。(笑)

現在のウェブ状況の分析と提言

さて以上のように情報に対する客観的な見方、ならびにウェブ礼賛論者の背景とするアメリカニズムとグローバリズムの問題点を指摘した著者は、同時にウェブ上の構造的問題(正のフィードバック、「人気があるから人気がある」となりがちなシステム)、受験勉強とも関連する知識の単純化(暗記するための知識の断片という発想)、民主主義や平等主義といった美辞麗句の陰の権力・利権闘争を述べた。その上での提言はさしあたり新しい情報観の獲得、著者の言葉を借りれば機械情報から「生命情報」への移行が最も大きなものと見てよいだろう。より具体的には書籍で。

著者は前世紀に起きた「言語学的転回」を襲って今世紀に「情報学的転回」が起きると考えているようだ。それが機械情報から生命情報を中心にすえたものになるかどうか。その予測の当否もまた、歴史が証明するだろう。ともかくいろいろと新しい発見をさせてくれた一冊だし、私と相当違った読みもありうると思った*4

*1asin:4757101201

*2:そういえば中国の「天帝」って一神教みたいなものなのだろうか。

*3:cf. アンカテ(Uncategorizable Blog) – Gマシーンの目覚め

*4:蛇足ながら、題名がイマイチ不適切という評を見た。これには私も同意せざるを得ない。『ウェブ時代の情報観』とか『ウェブ2.0と「情報」』とかのほうがもっと良かったのではないか。インパクトないけど。

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