『作家の生きかた』2 メランコリー

作家の生きかた2回目は若山牧水。「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにもそまずただよふ」の歌で有名な彼だが、その白鳥にも負けないくらいに彼もまた旅に生きた人だった。旅と歌といえば松尾芭蕉がまず思い出されるが、牧水もまた憑かれたように旅をした。著者の池内氏によれば牧水は旅のさなかにボードレールの一節を書きのこしているという。

唯だ行かんが為めに行かんとするものこそ、真個(まこと)の旅人なれ。心は気球の如くに軽く、身は悪運の手より逃れ得ず、如何なる故とも知らずして常に唯だ、行かん哉、行かん哉と叫ぶ。
  「旅」 ボードレール

この訳は永井荷風のもので、『あめりか物語』の冒頭に掲げられた。牧水もこの訳を愛吟していたようで、言葉遣いは微妙に異なるもののこの一節を短冊にしたためた。「どこか遠くに行きたいなあ」という思いには誰でもとらわれることがあるかもしれない。しかしただひたすらにその思いが迫ってくる人、そして実際に野宿も厭わず乞食も厭わず旅立っていく人はやはり病的だろう。有名な「幾山河(いくやまかは)こえさりゆかば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく」という歌が示すとおり、牧水は「悪運」に追いかけられ、自らの旅への衝動に苦しみながらも「寂しさの終てなむ国」を探し求め続けた漂泊の歌人だったと言っていい。もちろんそんな理想郷が地上のどこかにあるわけはない。「山のあなたの空遠く」ということだろう。だからその流浪の哀しさに牧水はまた酒を愛した。早稲田大学時の友人北原白秋も「酒の牧水、旅の牧水ほど牧水の真骨頂をあらはしたものはない。酒は彼を活気づけ、旅は彼を洗ひそゝぐ」(「どうでもしなはれ」)と言っている。

しら玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

 ところでなぜ牧水がメランコリーなのか。「メランコリー」(melancholia)はかなり根の深い概念で、池内氏によれば古くは『イリアス』にまで遡ることができるという。元の意味は「黒胆汁」(メラニンのメラと同じ)。絵画ではいわずと知れたデューラーを筆頭に、音楽でもやや遅れて16世紀後半から17世紀を風靡したダウランドにまず指を屈することができる*1。当然これはまた世紀末的な文化である退廃、上で引いたボードレールにも流れ込んでいたと池内氏は見る。ボードレールの詩句をなぞりながらただ「行かん哉」とつぶやき・叫びながら旅に生きた牧水の歌がまったく古びないのも、そうした極めて現代的な息遣いをしているからだと。メランコリーに憑かれながら「寂しさの終てなむ国」を求める旅は、だから、自然と祈りの旅・巡礼の旅の色合いを帯びてくる。

けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれてゆく

 ちょうどその旅は、「天職」の詩でボードレールが書いた旅の音楽師達と近づくものなのかもしれない(全文はこちら)。心は常にここではないどこかを追い求めながらも、音楽師達についていくことができなかった少年…。心の旅人にこそ旅は訪れるものなのかもしれない。

*1:絵画におけるメランコリーに関しては「メランコリー―西洋における天才と狂気の歴史@グランパレ」(巴里芸術新報 さん)を参照。

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