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『論座』 6月号

2007/06/21 (木) 00:01
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kwout this!

論座 2007年 06月号 [雑誌]近日中、と言いながら少し間が空いたのは今号が(予想外に?)面白く、PCでのメモ取りに時間がかかったせい。大体頭で考えたことを手を使ってキーボードで打ち込んでデータにするというのは二度手間だ。多くの人が意のままに自分の体を動かせるように、頭で考えたことがそのままPCに伝わってディスプレイに出るようになったほうがはるかに素晴らしいし、その時コンピューターは人間と新しい関係に入るだろう。

それはともかく内容。冒頭の憲法特集はほとんどスルー。毎回思うのだがなぜか第一特集はピンと来ないものが多い。私の頭が悪いせいか?

1月号「赤木論文(「丸山眞男」をひっぱたきたい―31歳フリーター。希望は、戦争。)」の赤木智弘氏が4月号での応答に再応答。ハッとした指摘は氏が安定労働層と貧困労働層とをきっちりと区別していることである。そして前者を含む既得権益層は後者を押しつぶしてあぐらをかいていると。氏が打ち出すのは「平等」の観点から利益配分ではなく「不利益配分」、好ましい安定性としての「平和」に対する「戦争」の配分である。「平和・不平等」から「戦争・平等」へ*1。さて、左翼諸氏どう応える。

91年からの大学院拡大政策の成功とその結果進路不定の大学院修了者が増えた、とデータを示しながら丁寧に指摘するのは濱中淳子氏の「大学院は出たけれど―夢を追い続ける『高学歴就職難民』2万人」。ま、修了後進路不明・行方不明者多数ですからね…。

ネット社会に関して佐々木俊尚氏の匿名言論についての記事と加藤紘一インタビュー、小林雅一氏によるネット経済圏の発展についてのレポートとティム・オライリーインタビューの4本立て。既知のことも多かったが面白かった。

佐々木氏は毎日の話題の特集「ネット君臨」とその座談会での柳田邦男氏の匿名言論批判を紹介。しかしその苛烈な批判は逆にマスメディアの3つの危機を示しているのではないかと佐々木氏。だが1番目に挙げられている特徴、つまりネットでは言論のフラット化が起こっており、「A新聞」「Bテレビ」「C大教授」などの肩書きで判断する「誰が言ったか」という思考から記述内容で判断する「何を言ったか」という思考がメインであるという特徴はそのまま鵜呑みにしてもよいものだろうか*2?ネット内でもネット上の人格に対して「誰が言ったか」で判断することは少なくないのではないだろうか。完全に匿名であればまた事情は違うのかもしれないが、その分信頼度の見極めはより難しくなってしまう。その後マスメディア危機の残り二つを挙げた上で佐々木氏はインターネット最大の問題はこのフラットな世界がどのようにして公共性を担保できるかという点にあると述べるが、これは現在進行中の「ネットイナゴ」問題とも関連する鋭い指摘だと言えるだろう。

続いて加藤紘一インタビューは前号の野中広務インタビューと関連しつつ面白かったが、加藤氏はやはりネットだけではダメだと考えている模様。まあ当然か。あと右翼を民族派右翼とオピニオン雑誌右翼に分けているのが面白かった。「団塊ジュニア」が影響を受けているのは後者ではないか、と。

ティム・オライリーインタビューの論点は少しずつ多岐に亘っている。ユーチューブやブログが進めているアマチュアとプロの境界の曖昧化や、中国での検閲事情、またSecond Lifeのような仮想世界がまだ初期段階であること(「パンフレット」に過ぎず「なんの役に立つのか?」と言われた94年頃のウェブのようなもの(笑))などいろいろな議論が出ているので是非読んでいただきたい。アルファ・ギークを「スーパー・オタク」と訳しているのは…。

「中吊り倶楽部」で上の赤木氏論考と共鳴する部分、つまり宮崎哲弥氏の「正社員が自分の暮らしを犠牲にしても、非正規雇用者にパイを分け与える日が来るかしら?」という指摘があって偶然かもしれないが経済の曲がり角を感じた。氏はその意味では「小林よしのり的迂回」を辿ってネオリベを撃つほうに分があるという。で、次号7月号は見事に小林よしのり氏が登場して貧困問題を考えている。待て次号(もう出てるから読みたい人は書店・アマゾンへ)。

前号から続く香月真理子氏の路上生活者に関するレポートは力作。今号は川崎水曜パトロールの会と、船橋中央教会についての記事。勉強になりました。

『フォーリン・アフェアーズ』からの訳出記事ではC.Ford RugneとBenjamin Senauerの「エタノール燃料は本当に人と地球に優しいのか」が問題に関していいサマリーと感じた。草などのセルロースからのエタノール燃料を作り出す技術もあるとのことで、これに筆者達は期待している模様。とりあえずトウモロコシよりもサトウキビのほうが原料としてはまだマシだろうということだった。

*1:この点では、ちょっと前から継続している姨捨て山論争なども一種の「戦争」なのだろうかと思ったり。無意識のうちの安定が実は多大な犠牲と費用の上に成り立っていると意識させるのは平和のうちに戦争を持ち込むことではないだろうか?

*2:こう指摘できること自体がこの特徴の一例だということになるかもしれないが。

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