ただの思いつき
2007/05/14 (月) 23:41カテゴリー: 学生時の哲学もの, 考え事
あらゆるモノ・コト・ヒトが「私の意識」と私が呼び・呼ばれているあるものに訴えかけてくるものは様々だが、その中に共通するもの、最低限の条件はいくつかあるだろう。その内にはきっと「私はお前ではない」ということが含まれるに違いない。これはちょうど「あらゆる事象にcogitoを附すことができる」というHusserlの主張と双子である。私が感じる世界は一つしかない。世界に跳ね返される「私」は一人しかいない*1。そうしたことへの証拠をあらゆる事象が「私の意識」と私が呼び・呼ばれているあるものに対して示してきている。「私はお前ではない」「私はお前の感覚を共有しない」と。
しかしこれは蓋然性の問題で、日々次々に実証されてはいるけれども、ある日私が昨日までとはまったく違う認識の仕方をしだすという経験論的な問題、私が感じているのは精緻に作られた非常に現実感のある夢かもしれないという意見を排除しない。しかしそれには何の問題もない。目覚めない限りそれは夢ではないから。それは潜在性に留まっている。
もちろんこうした思考が痩せ細ったものであるという意見もあるだろう。研ぎすぎたナイフのように。しかしこれは非難ではあっても反論にはならない。
*1:こういう局面においては「私の認識するものしか存在しない」と言う可能性がありうる。但しその認識を顕在的な認識に限るか、潜在的なそれにするかは分かれる。




