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『箱男』

2007/05/08 (火) 01:41
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kwout this!

箱男読了。学科の知人H.H.氏に薦められたもの*1。このごろすっかり新緑の季節となったが、この時季に初めて安部公房、それもこの作品を読んだのはひょっとしたら幸せなのかもしれない。晩秋から冬に読んだりしたら箱男の思想に触れることで気が滅入って仕方がなかっただろうと思う。

 作品中に張りめぐらされた構造の読解などは精緻に行う時間もないしたぶんそれは私の能力に余ることになる*2。だからとりあえずこの作品のスナップをいくつか取っておくくらいにしておく。例によってネタバレには注意しない*3

箱男とは/書き手のぶれ

 そもそも箱男とは、ビニールシート二片を垂らした覗き窓を前方にあけた段ボールを被ることで、自らの存在/個体性/世界との関係性を消し、一方的に世界を見るという優位に立とうとした人間である(その意味ではたとえば監視カメラに似ていると思う)。世の人々は浮浪者を無視するよりもなお箱男を無視する。この本は(全国に沢山いるらしい)箱男の一人である主人公が書いた本という体裁を取っている。しかし後半に進むにつれその体裁、書き手のベクトル―いったい誰が書いているのかという発信源―は猛烈な転回を始める。最終部「手掛りが多ければ、真相もその手掛りの数だけ存在していていいわけだ。」(p.238)というのは芥川「藪の中*4」を連想させる。しかし『箱男』が厄介なのは「藪の中」ほど―そして普通の小説ほど―登場人物(の役割)が分離しておらず、書き手が本物の箱男(書き手である「自分」)だったのが贋の箱男になったり、普通の会話が繰り広げられていると思ったら話のメタ化が進行したりするところ(p.133ff.)だろう。「話のメタ化」というのはたとえば次のような事象である。以下の部分の直前までは一応会話している男同士の二人は同じ部屋で話しているということになっているのだが、突然ここで話が崩れ始める*5

「……それじゃ聞くけど、君はいまこの瞬間に、何処で、何をしているんだい?」
「あんたの見ているとおりさ。ここで、あんたと、喋くっているよ。」
「なるほど……すると、このノート*6は、何処で誰が書いていることになるのかな?誰かが、箱の中で、海岸の脱衣場の裸電球をたよりに書いていたんじゃなかったっけ?」
  安部公房『箱男』(新潮文庫) p.133

書き手が喋りながら別の場所で同時にノートを書くことはできない。この矛盾は次第に綻びを大きくしながら、《書いているぼくと、書かれているぼくとの不機嫌な関係をめぐって》と名づけられたこの節の最後に至る。

不都合なのは、筋が通らないことよりも、むしろなめらかに通りすぎている点だろう。真相というものは、欠落部分の多い嵌め絵のように、もっと切々で、飛躍だらけなものであるはずだ。ぼくが、ぼくでないかもしれないというのに、そうまでしてぼくを生きのびさせる必要がどこにあるのだろう。繰返すようだが箱男は理想的な殺され屋なのだ。[略]たしかにぼくがまだ生きのびているという証拠は、どこにもないのである。
  安部公房『箱男』(新潮文庫) p.148

なんとも奇妙なことにノートを書いている人が死んでいるかもしれないという状態に至り、さらにしばらく後の《Cの場合》および《死刑執行人に罪はない》では死に向かう人、既に死んだ人がノートを書き綴っているという地点にまで到達する。もちろん「現実的に」こんなことはあり得ない。だから「現実的に」読むならばどこかから完全に妄想・創作の次元に滑り込んでいるということになるだろう。しかしその一方で安部公房のどろりとした昏迷と錯綜の中で読み続けるというのもまた『箱男』の読みとしてありうるのではないか*7

再帰性

 以上のように、『箱男』の仕掛けの一つとして記述者のぶれ、現実/妄想の揺らぎというものはまず挙げられると思う。その上で、そのぶれの一部をなしていたり、またそれを強めているのが以下に示す再帰的な関係である。それは例えば記述者(の役割)や指示する物が異なるのに全く同じ表現を使いまわしたり(p.69とp.152のドアの修飾)、「ぼく」が書いていたはずの『箱男』とそっくり同じ出だしの「供述書」を「君」が書き出したり(p.154)*8、明後日起きる事件のことを過去形で書くという奇妙な行為を見たり(p.155)と言った箇所にも現れている。しかしやはり再帰性にとって根本的なのはまず「覗き」という行為、それから箱男が被る箱によって可能となる一方的な観察、さらには箱男の存在そのものなのではないだろうか。「覗き」という行為については覗こうとしていた者が覗かれることになる《Dの場合》を考えればよいし、箱男の一方的観察には贋の箱男に箱の中からにらみ返される(p.111)ということが起きてしまう。箱男の存在そのものについてはどうなるかというと、まず彼は最後の部分で建物という「箱」の中に裸で閉じこもりながらこう言い放つ。

 箱から出るかわりに、世界を箱の中に閉じ込めてやる。いまこそ世界が眼を閉じてしまうべきなのだ。きっと思い通りになってくれるだろう。
  安部公房『箱男』(新潮文庫) p.235

だが意外なことにその「箱」の中にもまた世界が開けていて(そもそもこの「箱」の中には彼のほかに女性がいる)なんだかめちゃめちゃなことになっているのだが、そこは本書を読んでもらうことにしよう。また部屋を覗いたら裸の女性と自分そっくりの箱男を見出すシーン、そしてそれに強い既視感、というより自身がかつてその部屋の中で裸の彼女を見たことがある感覚に襲われるシーン(p.70)もまた、再帰性を打ち出している場面に数え入れることができるだろう。

詩的感覚

 『箱男』に関して最後に一つ私が言及したいのは安部公房の文章にあらわれた詩的感覚である。『箱男』の叙述の中にはしばしば文学的、それも散文的というより詩的な感性を感じさせる箇所が現れる。実際に詩が挿入されていたり、切手発明者ショパンと郵便ポストになった父が出てくる箱男の夢が前後の脈絡なく挟まれていたりするのも詩らしく跳躍的ではあるが、たとえば以下のような記述群はどうだろう。

見ている間だけしか存在してくれないから、見たいと思う欲望も切実になる。見るのをやめた途端に、消えてしまうから、カメラで撮ったり、キャンバスに写したりしなければならないのだ。裸と肉体とは違う。裸は肉体を材料に、眼という指でこね上げられた作品なのだ。肉体は彼女のものであっても、裸の所有権については、ぼくだって指をくわえて引退るつもりはない。
  安部公房『箱男』(新潮文庫) p.74

なぜ誰もが、こうニュースを求めるのか……[略]人はただ安心するためにニュースを聞いているだけなんだ。どんな大ニュースを聞かされたところで、聞いている人間はまだちゃんと生きているわけだからな。本当の大ニュースは、世界の終わりを告げる、最後のニュースだろう。[略]しかし、ニュースが続いているかぎり、絶対に最後にはならないんだ。まだ最後ではありません、というお知らせなのさ。
  安部公房『箱男』(新潮文庫) p.106

人々が、なんとか他人の視線に耐えて生きていけるのは、人間の眼の不正確さと、錯覚に期待するからなのだ。なるべく似たような衣裳をつけ、似たような髪型にして、他人と見分けがつきにくいように工夫したりする。[略]「覗き」という行為が、一般に侮りの眼を持って見られるのも、自分が覗かれる側にまわりたくないからだろう。[略]誰だって、見られるよりは、見たいのだ。ラジオやテレビなどという覗き道具が、際限もなく売れつづけているのも、人類の九十九パーセントが、自分の醜さを自覚していることのいい証拠だろう。
  安部公房『箱男』(新潮文庫) p.117f.

…とここまで並べてきて、詩的な叙述というよりはむしろ思想的・哲学的な叙述とでも言った方が適当な気がしてきた。まったく思想的・哲学的でない小説というのはありえないと思うが、『箱男』ではとくにその傾向が色濃く出ているように思う。それはもちろん主人公の箱男自身がかなり内省的であり、彼のノートであるこの本にその思考を書き綴った結果だということはある。しかしそれだけでなく、さらにそれが著者安部公房による錯綜した構成に乗せて語られているということも付け加えておくべきだろう。そのためこの『箱男』はユニークな世界観/文学的立場をとると同時に思想的にも一つの問題作でありうると私は思うのだ。なお、途中に挿入された著者自身の手になる写真とそれに附された文もまた一見の価値がある。

*1:薦めてくれたH.H.氏ならば多分この作品での女性の肌の描写、脚の描写などを気に入るのではないかと思うが、たまたま私のこの文章では一部を除いてすっかり抜け落ちてしまった。そちらの表現に関しては積極的に語れるほど私に背景がないので。(笑)でも脚解釈(p.74f.)などは独特で面白かった。

*2:構造的に読み解く一例としては 「箱男」を読み解く(漫画論・替え歌・ゴジラのページ さん)が取り組んでいる。やや納得できないように思われる箇所もあるが…。なお小説を読む前に読んでしまうと小説を読む気が失せるかもしれない。

*3:以下ページ付けは新潮文庫版による。

*4:「藪の中」は黒澤明の映画(「羅生門」)の影響もあって世界的に有名なのだそうだ。cf. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD 映画の「羅生門」は昔親と見た(その時は原作も芥川の「羅生門」だと思っていた)のだが、強盗が女を犯すシーンなどがあって気まずかった記憶が…。

*5:もう少し言えばp.102で「医者には贋箱をかぶせたまま、どこか部屋の隅にでも押し込めておくことにしよう」とあるので単なる妄想である可能性も実際には仄めかしてはいる。

*6:この本『箱男』自体のこと。

*7:なんか「文学評論」くさい…。

*8:ついでに言えば「君」の用法も作中人物だったり読者を指示するような用法だったりぶれがある。

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2 Responses to “『箱男』”

    4Avatars v0.3.1 v0.3.1
  1. gamma_ut
    1 月 1st, 1970 09:00

    ご教示ありがとうございます。推理小説はあまり読まないのですが、再読時の参考にさせていただきます。

  2. 4Avatars v0.3.1 v0.3.1
  3. 砂野
    6 月 12th, 2007 04:38

    はじめまして。
    箱男は推理小説であり完全に解くことができます。
    真相はここ↓
    http://homepage1.nifty.com/sunano/hako0.htm

コメント

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