都合により6日まで更新を停止します。以下は置きみやげ。幸福は知るという行為にあるのだけれども、では知るということは「なにかのため」なのかというとそんなことはなくて別段他の目的はないのだよ、ということ。ただ知りたい、知るのが楽しいから知るというだけなのです*1。岩田靖夫氏が論文書いているとか。
かくしていま、もろもろの卓越性に即しての営みのうち、政治的とか軍事的なそれは、たとえうるわしさや規模の大いさにおいて優越してはいても、非閑暇的であり、或る目的を希求していてそれ自身のゆえに望ましくあるのではないのに対して、知性(ヌース)の活動は――まさに観照的なるがゆえに――その真剣さにおいてまさっており、活動それ自身以外のいかなる目的をも追求せず、その固有の快楽を内蔵していると考えられ(この快楽がまたその活動を増進する)、かく、自給的・閑暇的・人間に可能なかぎり無疲労的・その他およそ至福なるひとに配されるあらゆる条件がこの活動に具備されているものなることが明らかなのであってみれば、当然の帰結として、人間の究極的な幸福とは、まさしくこの活動でなくてはならないであろう。この活動は、かくして、生涯の究極的な永さに及ぶことを要する。けだし、幸福を構成するいかなる条件も非究極的であってはならないからである――。
もとより、かような生活は人間の水準を超えた生活であるに相違ない。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』第10巻第7章1177b (高田三郎訳)
*1:アリストテレスさん間違ってたらごめんなさい。
















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