芥川の墓参り
2007/04/23 (月) 23:09カテゴリー: 日々
今日はふと思い立って墓を見に行くことにした。以前から近所にあるとは知っていたのだがなかなか行く機会がなかったのだ。思い立ってから午後の曇り空の下自転車をこいで行くと、意外とすぐ着いた。駒込、染井霊園(染井墓地)のそばにある慈眼寺である。染井霊園にも二葉亭四迷、岡倉天心、高村光太郎、幣原喜重郎ほかいろいろな人の墓があるのだが、今日のところはとりあえず行かない。
染井霊園とはちがって慈眼寺の墓地は一周するのに10分もかからない。いたって普通の墓地だが、入り口に墓地に眠る著名人の表があり、ところどころに案内の柱があるところだけが違う。それを見ながら歩くと墓に着いた。墓にはこう書いてある。「芥川龍之介墓」
今年で没後80年になる芥川の墓は背が低く、ちょうど私の腰くらい。そのかわり幅と奥行きがある。なんでも彼愛用の座布団の寸法で作ったとのことで、墓石の上面には浮き彫りになった家紋の桐がある。ほかはいたって簡素で、裏に回ってもただ彼が亡骸になった「昭和二年七月二十四日」の日付が彫ってあるだけである。墓のそばには立派な楓が生えていたから、赤く染まる秋にはさぞ綺麗なことだろう。そして隣にある芥川家の墓には芥川の妻や息子たちが眠っており、その墓にも同じ桐の紋が浮き彫りになっている。慈眼寺は日蓮宗の寺で、芥川は戒名を嫌ったから亡くなったときに戒名を与えるかどうかもめたそうだ。一応戒名はあるが芥川自身の墓には刻まれていない。誰が供えたのか墓前には白い花と紫の花がまだ色鮮やかに残っていた。私は芥川の墓石にかかった楓の花を払って手を合わせたあと、そこを離れた。
同じ敷地内には谷崎潤一郎が分骨された墓もあるとのことだが、見忘れた。仲が良かったとは言え、芥川の死で終わった「文芸的な、余りに文芸的な」論争の二人が同じ墓地に眠っているのも不思議なものである。司馬江漢の墓を見てから帰ろうとすると無縁仏を供養した巨大な無縁塔と、その周辺に配されたもはや弔いに来る人もいない墓石が目に入ってきた。墓地の入り口に近いその無縁塔の前には「無縁塔縁起」として建立するに至った経緯が書いてあった。なんでも無縁仏を供養するのはとても功徳があることだそうだが、それよりも「我ら幾百歳の後は無縁仏となるとも測り難し」の一句が印象的だった。それはそうだろう。何百年も経って名前が残る人などほんの一握りだ。私も自分の祖先をよく知らぬ。しかしその無縁仏を鎮める無縁塔が建てられるのもまた一つの縁起であり、私がそれを見てここにこう書くのもまた縁起である。縁起というその発想がおもしろい。
ところで慈眼寺の一方の隣は染井霊園なのだが、他の三方は普通の住宅が囲んでいる。慈眼寺と染井霊園の間の道を夜走りたいとはあまり思わないが、私が無縁塔に見入っている間も短いスカートをはいた高校生たちが普通に歩いていった。「あばばばば」を書いた芥川なら彼女達を見てどう思うだろうか。そんなことまでつい連想してしまった。そのうち、染井や雑司が谷の墓地にも行ってみようと思う。




