久しぶりに大栗裕の「大阪俗謡による変奏曲」が聴きたくなった。大栗には「東洋のバルトーク」という異名があるそうだ(どこで誰が言っているのか知らないのだが)。バルトークで私が知っている曲など片手で足りてしまう…というか大栗の作品で知っているものも片手で足りてしまう。まあそれはともかく「大阪俗謡による変奏曲」は楽しい曲であるし、それぞれのメロディーを活かしながらその構成・絡みも分かりやすい親切な曲である。どうも私はメロディーあるいはもっと細かくモティーフあたりがピンと来る曲でないと入れ込めないようで、いわゆる「現代音楽」や一部の吹奏楽曲には正直ついて行けない。むろんその創造活動・演奏活動にまでケチをつける気はまったくないのだが。…こんな私を「音楽の趣味が分からない奴だ」と笑うのは結構だが、音楽にわかりやすさを求めることを否定するのは音楽に対する冒涜なのではないか?だから私は例えばレスピーギを否定する者に与しない。ヴィヴァルディを否定する者に与しない。しかしまたポピュラー音楽以外を否定する過激な思考もまたおかしいのではないかと思う。
閑話休題。結局趣味問題なのであって、音楽でメシを食うわけでもない私がムキになる必要はまったくないのだった。ただ「趣味を押し付けるな」の一言で済む話である*1。さてこのCDの掉尾を飾るのはタイトルにもなっている伊藤康英「吹奏楽のための交響詩『ぐるりよざ』」である。この変な題名は長崎で隠れキリシタンが歌い続けてきた「オラショ*2」と呼ばれる聖歌の名前の一つである。曲は「ぐるりよざ」「さんじゅあん様のうた」「長崎ぶらぶら節」などを用いて三楽章構成にしたもので、第二楽章の龍笛独奏は大変美しい。
「ぐるりよざ」がこの吹奏楽曲になるまでは紆余曲折あったと思うが、その一コマとして西洋音楽史を専攻されている皆川達夫氏が長崎に伝わる「ぐるりよざ」を「再発見」したということがある。皆川氏はそのルーツを400年前のスペインのローカルな聖歌”Gloriosa”に見出した過程をこちらのページで書かれている。最後の部分を引用しておこう。
それは、現在なお世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、十六世紀のスペインの一地方だけで歌われていた特殊なローカル聖歌であった。それが、四〇〇年前にこの地域出身の宣教師によって日本の離れ小島にもたらされ、はげしい弾圧の嵐のもとで隠れキリシタンによって命をかけて歌いつがれて、今日にいたったのである。この厳粛な事実を知った瞬間、わたくしは言いしれぬ感動にとらえられ、思わずスペインの図書館の一室で立ちすくんでしまったのであった。
皆川達夫「オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし」
…というわけで、もしこの曲を演奏される機会・聴く機会があったらそんな歴史、明るいものばかりではない歴史を感じてみてもおつなものなのではないだろうか。




















































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