mixi、吐き気、自己確認
2007/02/12 (月) 02:06カテゴリー: web
さる人にとりあえずやってみたら、と勧められたので入ってみた*1。とりあえず色々見て周ったが、どちらかというと反発のほうが大きかった*2。かなり懐かしい面々を見つけられたのには驚いたが(皆さん素敵な人になってますね!)、リアルで知り合いだった頃に相当揉めていた人たちがコミュニティ内で仲良くしているのを見て吐き気がした。風邪のせいもあったのかもしれない。
いや「仲良くすること」自体は罪でもなんでもないのだ。一方ではその吐き気は自分に対するそれだった。輝かしいmixiの人々に面して、いかに自分が交友関係をないがしろにしてきたか思い知らされたという吐き気。(笑)だがそれは他方ではあの仲良しな微温空間に対する吐き気だ。ある程度想像はしていたが、コミュニティの一覧では予想外に人が現在形のカタログ項目になっていた。いやインターネットが推し進めたことは結局ああいった差異の収奪なのかもしれないが、なんだか暗澹とさせられた*3。
しかし一方では一部の人に「懐かしい!」と思いながら他方では一部のコミュニティに吐き気を催すというのは不公平だろう。その人の日記を一回見ただけでは、まだまだリアルの印象でバイアスがかかった反応をしてしまうせいだろうか。この反応を分けるのは、単にリアルの印象が自分の中でキレイなものに変質してしまっているかそうでないか、つまり多くの場合ではどれだけその人と別れてから時間が経っているかどうかというところにあるように思う。だから結局は私が過去の印象(あるいはその発酵物)でネット上のその人(たち)を見ていることになる。だがこの点はどうしたって「公平」ってわけにはいかない。私自身が無味無臭ではありえないからだ。するとこの問い自体、ここに不公平という概念を持ち込むことが無効ということになる。
ここから分かるのはmixiが自己確認の装置だということだ。私はmixiリサーチャーではないので知らないが、これはもうありふれた言説なのかもしれない。インターネット自身、あるいは検索というGoogleが神になろうとしている手段にもそういう要素はあると思ったが、mixiではそれがかなり先鋭化しているのかもしれない。
とは言え私はしばらくはmixiを見続けるだろう。でもそこで書くことはないだろう。
*1:mixiの年齢層はかなり若いと聞いているが、「SNSに入るオヤジたち」がまだ見えてこない。団塊マネーを狙わないはずがないが、プロモーションをどこかで仕掛けていないのだろうか?
*2:まあその反発のせいでのこのことこっちのブログ更新しているので影響を受けたことは否定できない。
*3:AとBが違う、ということはAとBにかなりの共通項があることが前提だ(マニアもそこでだけ発生できる)。そもそもAとBとが全く違うという場合それを比較することは相当な力技だ。AとBとが比べられる時、差異が強調されるように見えて実は差異が奪われている。奪われた差異はどこにいったのだろうか。そして人間は比べられるものなのだろうか。




