集中講義
2005/07/28 (木) 23:14カテゴリー: 考え事
本来なら3日目。今日は自我・世界関連の話題なので気合が入る。しかし先生がお菓子のライプニッツ*1を買ってきてみんなに配ったのでいきなり和む。以下扱われた内容。自我(モナド)関係としてはPerception(表象)、Apperception(意識的表象)、petite Perception(微小表象)、confuse-distinct、さらにパースペクティブの問題など。視点の問題に関連して、被造物が神ではなく被造物たりえるためには、なにが見えないかが重要だと勝手に納得する*2。さらに世界関係としては可能世界のアイディア、いわゆるライプニッツの問い(下記参照)、さらに充足理由律、決定原理(最小-最大の原理)など。自我-世界の問題として個体性、心身問題~因果(作用因と目的因、それらの調和)から見た予定調和説等。
ライプニッツの問い
「なぜ何も無いのではなくむしろなにかが有るのか」という問いのこと。後には「なぜなら、なにかが有るよりももいっそなにも無いほうが単純だからである」と身も蓋も無い文が続く。ライプニッツはまた並べて「なぜ他のようではなくてこのようであるのか」とも問う。つまり「~がある」と「~である」の二通りの存在の仕方について問うているわけである。後者の問いは同じカテゴリーで問いが立てられる。例えばなぜ赤でなく白なのか、というように。これについてカテゴリーを越えたメタバシスを犯すことは出来ない(なぜ赤でなく甘いのか、は通常意味をなさない)。しかるに前者の問いは存在と無を同じレベルで捉えて問おうとしている。しかし何かを語るために存在もしくは無が「~である」や「~で(あるのでは)ない」として必然的に要請される以上、存在や無を直接に語ることはアポリアとならざるを得ない。これはアリストテレスが「存在は類を超えている」と言ったのと全く同じ構造を備えているし、おそらく全く同じものを見抜いている。ライプニッツ自身はこの問いにあまり深入りしていないが、この問いを立てえただけでも哲学的巨人である。
*1:こちらに紹介あり。ハノーファーの老舗のお菓子屋さんの商品だそうだ。しかし実際に作っているのはポーランドでらしい。哲学者にあやかってつけたのかどうかは不明。
*2:神は全てを全ての視点から同時に見うる存在として考えられる。




