o xein’, angellein…

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講義

2006/01/13 (金) 01:36
カテゴリー: 学生時の哲学もの
kwout this!

年度内は今日で終わり。Noesis-Noema論の具体的説明。NoesisとHyle, Noemaの諸性格等等。
仮にNatüriche Einstellungを度外視し、さらにObjektivitätの問題も度外視することにすると、「意識の外」にあると思われている対象は実はNoemaの投影に過ぎなくなる。しかし実際はこんな仮定に意味はないように見える。権利上先なるものと事実上先なるものとは同じではないから。しかし同時に私はまた私のBewußtseinsstromから始めざるを得ないし、その外に出ることは不可能である。まったく同じ意味で、他人のBewußtseinsstromに入り込むことなどできない、より厳密には、他人のBewußtseinsstromなるものを私は理解できないのではないか?他人の持つNoemaを共有することはありえない*1。Objektivitätがここから逆転するかもしれない。

*1:しかしそれを理解することなら可能かもしれない。その時なにが変化し、変化しないのか。しかしそれを比較する手段は欠けている。

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