o xein’, angellein…

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バトン

2005/11/29 (火) 00:37
カテゴリー: web
kwout this!

もりたのブログ」さんから来ました。1問だけ答えます。回す相手はいませんのでもりたさんに返します。本当は「もりたのブログ」さんのコメント欄でやろうと思ったのですが、「長すぎる」って怒られました。5分割くらいしても怒られました。そんなに長いコメント嫌いなのでしょうか。あと、回答は面白くないです。ブログで面白くないものを書くのは一種の犯罪です。(笑)

〔問題〕■どちらかとしか付き合えません。 1自分の事を好いていない想い人 2自分の事が大好きなデニーズの店員

結論は2。論証は以下の通り。なお選択肢1における相手をA、選択肢2における相手をBと呼ぶ。なお問題が煩雑になるため「AとBは実は同一人物であり二重人格者である」という状況は排除する。
(1)〔問題の本質〕この選択肢の提起する問題は、恋愛という他者との特殊な関係に関して、自らの希望する状態を実現するかもしくは他者の希望する状態を実現するかという選択である。しかもそれはその関係が他者という人間を含んでいるため、必然的に倫理的関係となる。ではこの関係において倫理的原則をどこに立てるかということが問われるべきである。なおこの問題に於ける状況設定が人間において正当なものかどうかは人間の自由と意思決定に関する状況において非常に興味深いが、論じる余裕はない。
(2)〔快・不快の原則の定義〕さてさしあたり自らの希望する状況を生み出し、その状況を享受することが快であること、また自らの希望しない状況になってしまい、その状況から何らかの苦痛を蒙ることが不快であること、このことは定義されて良いであろう。また「快を求め不快を避ける」という一般的原則をこの問題においても適用して良いように思われる。
(3)〔選択肢1におけるAの苦痛の評価について〕では「交際することを希望する相手と交際する」という状況を生み出す1の選択肢が導かれるべきであろうか。しかし(1)で述べたようにこの問題は倫理的問題であり、そこで我々は他者という場面においても考察する必要に迫られる。とすると、Aには結果として不快が生じる可能性があることが浮かび上がってくるであろう。すると新たにAの苦痛をどう評価するかという問題が生じてくる。我々はこれを解決しなければならない。
(4)〔この問題での倫理的原則・愛の導入〕ところで交際を望む場合、そこで希望されている状態とは一体なんであろうか。これは一見同語反復に見えるが、それは見せかけに過ぎない。交際する場合、交際という状況のみならず、そこにある種の満足感が得られることを望んでいると言ってよいであろう*1。しかしてそれは単に己れが満足するという満足感ではない。それは他に満足感を与えるということに関する満足感であろう。これを愛と名づけて良いように思われる。そしてこれをこの問題における倫理的原則として導入して良いであろう。即ち我々は他に満足感を与えるという原則に従って選択肢を考察すべきである。つまり、己れの満足感よりは他者の苦痛のほうがより重きをおいて評価されるべきである。ここにおいて、選択肢1でAに対して与える満足感よりは選択肢2でBに与える満足感のほうが大きなものであろうこと、選択肢1でAに対して与える苦痛よりは選択肢2でBに与える苦痛の方が小さなものであろうこと、このことは容易に推測される。
(5)〔反論への再批判〕ありうる反論として「交際するうちにAにも満足感が生じ、苦痛が減少する可能性がある」というものが想定される。しかしまず第一に、それは結果論でしかない。結果としてそうなるからといってそれを選ぶべきだとは考えない。ましてやそれは可能性に過ぎず、尚更認められない。また第二に、愛の対象はA自身であり、我々が勝手に想定する可能的なAではない。一般にそうなる可能性があるからと言って、Aにもそれを当てはめて考えることは他者に対する暴力以外の何ものでもないのではないか。
(6)〔結論〕以上によって選択肢1を希望することは不可能である。したがって問題の条件からして2が選択されるべきであると考える。
(7)〔この問題の不十分性〕最後にこの問題の不十分性を指摘しておく。まず基本的に、AまたはBに拒絶される可能性が考慮されていないこと。また個人的趣味・交際相手への嗜好の問題が全く度外視されていること。以上の点も含めて問題を新たに立てることは可能ではないか。

ふぅ。あんまり面白くないな。愛の定義とかぬるいし。(5)の第二の再批判はあんまり関係ない。「満足感がより大きい」とか言うと誰かさんに怒られそうだ。あと問題文の「デニーズ」の必然性は完全に無視してます。(笑)

補遺:この論証では言及できなかった問題。2の選択肢を選んだ場合、Bと交際しながらそれでもAに対する感情を捨てきれずBに対して背徳感を抱く可能性があること。これを「Bを本当に愛することができない」として反論にすることは可能。また愛の定義に「他者に満足感を与えることができるように自身が努力すること」(要するに「ホントに好きなら相手を幸せにしてみせろ!」というアレ)を組み入れればまた違った議論が可能。もりたさん作ってみませんか?

*1:もちろん、このことこそがむしろ見せかけなのであって、我々は単に交際という一連の行為を望んでいるのだという反論はありうるが、ここではそれを論じない。

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