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Bergson

2005/09/18 (日) 00:20
カテゴリー: 読書会
kwout this!

『時間と自由』続き。まず感情的感覚(例えば快感や苦痛)が過ぎ去った刺激に対する反応ではなくて、むしろ未来の自動的反応・自動的運動に対する、あるいはそれに抵抗させるための感覚であると論じる。よく考えるととてつもないことを言っている気がしてくる。その後リシェ(Richet)とダーウィンを引き合いに出し、不快感・快感の強さをそれぞれ身体器官の量的な広がりで定義づける。また極度の苦痛を回避し、より大きな快感を求めることをそのように運動する運動でもって説明する行動主義的な議論を示す。しかし他方では、もしそういった量的なものとの結びつけがなかったとしたら、感覚的感情の強さを量の差異でもって定義づけることには到達しないはずだというベルクソン本来の主張を仄めかすことも述べる。

感情の強さを量的・空間的に定義することと、感情そのものを量的に定義することとを区別しなければならない。ベルクソンはおそらくそのどちらをも拒否するだろう。感情といった質的なものを、反応の大きさのような量的・空間的なもの、あるいはいわば「物質化したもの」で説明してよいのか、説明できるのかということは哲学あるいは一部の心理学で度々論争になってきたことである。逆に、目の前の人が自分と同じものを見聞きして自分とおなじような反応をするからと言って、自分と本当に同じものを感じ・体験しているという保障はまさに「この世界のどこにも」ない。その意味ではなんぴとも限りない他者なのであって、共感とか分かり合いとかいった言葉で自らを甘やかしてはならない。

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