o xein’, angellein…
o xein’, angellein…

ブログリニューアル

3 8 月, 2008 @ 23:48:30
web, 日々 | 0 コメント add to hatena (0) add to del.icio.us (0) add to livedoor.clip (0) add to Yahoo!Bookmark (0) ブログリニューアル - o xein’, angellein…

こちらのブログをしばらく放置していたのですが、自分の生活環境が変わったこともあり、前のモノトーンのものから少し彩りのあるものにしないとイマイチ書く気も起こらず。というわけで土日を費やしてリニューアルしてみました。

 テーマは以前同様3カラムのものをWordPressのTheme Viewerで探してSoulfoodに決定。トップの写真も気に入ったので。別のところでTarskiというすごい名前のものも見つけたのですが、2カラムだったので今回は見送り。

 カスタマイズ中は管理者だけサイトを違うテーマで見ることを可能にしてくれるプラグインTheme Test Driveのお世話になりました。というかこれがなかったら「テスト環境?なにそれ」な自分がブログをリニューアルすることなどとても出来なかったでしょう。最後の最後にブログの投稿画面から投稿できないという間抜けな事態に陥りましたが何とか解決。

ほか、構成が変わったのでcssやphpとにらめっこしていじったり右側にあるフィードのアイコンを変えたり、はてなスターであーでもないこーでもないと苦戦したり。ついでに勢いでMicroAdや植林系ブログパーツの「グリムス(gremz)」というものを始めてみました。投稿を続けると育ち、育つと一本植林してくれるんだとか。会社でもエコ関係のことを言われているのでひっそりと貢献してみます。でも最近自分の部屋で観葉植物を枯らしてしまったのですけどね。

 下のほうにLast.fmマイライブラリのラジオステーションのFLASHも足したので、お暇な方はどうぞ。西洋の中世・古楽・いわゆるクラシック・民謡・ジャズなどがごちゃまぜになってます。(笑)

 実生活ではどうかというと、最近PCを買い換えました。今までは死にかけの02年製ノートだったのが05年製デスクトップになりました。快適快適。Gmailがサクサク動くので一人で感動してしまいました。「PCの寿命は5年」なんていう説は聞かなかったことにします。Firefoxに最近入れたGoogle Search Results Ultimate Makeoverも快適です(参考記事)。

 仕事ではまだすばらしい結果を出すには程遠い状態なのですが、営業担当として新規営業先の種をまいている感じです。否応なく他人の目にさらされる中で日々成長していくにはどういう仕組みを作ればいいのか、きちんと考えないと……と思っているのですが、まとまった時間を取れるのが土日だけなのでうかうかしていると一月が経ってしまいます。本や雑誌も読むのに時間がかかるばかりで、仕事が終わってからダラダラと読んでいると読んでるそばから中身がこぼれていきそうです。働き出すと時間にシビアになってしまいますな。いやもっとシビアになったほうがいいか。

 こうして書く文体や中身もしばらく前とは大きく変わった気がします。それに良い悪いはないでしょう。それにしても来し方行く末を思うと茫とするものがありますが、小回りの効く企業にいることだし、やりたいこと・やり続けられることの接点を探していきたいものです。

 ではまた。

web拍手

サークル訪問

12 4 月, 2008 @ 19:27:49
日々 | 0 コメント add to hatena (0) add to del.icio.us (0) add to livedoor.clip (0) add to Yahoo!Bookmark (0) サークル訪問 - o xein’, angellein…

ここしばらく新入社員として研修中なのでブログが書けていませんが、ちゃんと生きてます。役員・部長クラスからの事業説明の研修を受けたり、一泊だけですが河口湖に研修合宿にも行ったり、会社のバリューについて同期と考えたりしてます。

 ところで今日は自分の会社が参加している学生向けの企業間プロジェクトの宣伝と自社の宣伝を兼ねて大学時代の吹奏楽サークルを訪問してきました。昨日あたりにその宣伝が決定したせいで事前に約束もできずいきなりの訪問です。いったい何年前だよ、という現役時代の記憶をたどって練習時間をみはからいつつ私鉄沿いにあるキャンパスに行ってきました。普通にSUICAで行けるのになにを勘違いしたか券売機で切符買ってしまったりしましたが、キャンパスに着くと新勧の時期で、昔聞いた記憶がある部活・サークルの看板やチラシがそこらじゅうにあります。私が着いたのも丁度練習が終わりかけの時間で、忙しい時期にも関わらず何人もの学生さんが説明を聞いてくれ、うち一人には昼食までご一緒しながらお話しし、ありがたかったです。地方都市の未来について熱心に考えている2年生さんでした。急な訪問にも対応してくれた代表さんにも感謝します。

 ちなみにサークルは明後日が新勧の演奏会だそうで、なぜかテレビの撮影が入って某有名サクソフォンプレイヤーと共演するそうです。その方とは私もずっと昔に共演させていただいたことがあるので不思議な縁を感じました。キャンパスは私がいた頃とは結構変わっていて(学年で通うキャンパスが変わるのでこちらのキャンパスには久々に来たのです)、薄暗かった建物が工事されてピカピカになっていたり、生協の位置が変わったので学生がたむろする中心地がずれたりしていました。私がいた頃より随分広くなった生協の本屋さんにも寄りながら、並木が葉を出しつつあるキャンパスを後にしました。

web拍手

相対主義とメタ相対主義

23 3 月, 2008 @ 13:05:40
考え事 | 0 コメント add to hatena (0) add to del.icio.us (0) add to livedoor.clip (0) add to Yahoo!Bookmark (0) 相対主義とメタ相対主義 - o xein’, angellein…

あまりまとまっていないのだけれど取り急ぎ。なおいわゆる「車輪の再発明」である可能性大。

 sho_taさんがされている相対主義の話なのだけれど、自己言及的になっている時点、つまり「相対主義はそれ自体絶対主義なのではないか?」という問いが立った時点でそれまでの相対主義(つまりあらゆる主義に「単純に」距離を取る立場)とは明らかに変質してしまっているのではないだろうか。いわば、それまでの相対主義が普遍的な相対主義(但しおのれ自体は相対化しない)のに対し後者は特殊的な相対主義(というより自身への問題提起)になっているのではないだろうか。そして前者を信奉する人は相対主義を一種メタ的な主義として考えるだろうが、後者の問題を嗅ぎつける人は必ずしも相対主義がメタ的とは考えられなくなるだろう。それは自身の問題認識のレベルが変わっているのだから当然でもある。

 挙げられている「背理」、つまりあるイデオロギーの「選び直し」を動機づけられるにはそのイデオロギーを相対化してしなければならないはずだが、イデオロギーとは正に「世界の切り取り方」の引き受けであるはずで、とすれば本質的に当該のイデオロギーを相対化することなどできないはずだ、という問題はまったくその通りなのだけれど、だからと言って自己のイデオロギーを対象化すること・その問題点を見出すことが排除されるとは思わない。なぜなら対立するイデオロギーの考え方を「客観的に」比較することはできなくてもその対立点を認識すること、つまりその点を通して「向こう側の」世界の広がりに触れることができるからだ。sho_taさんはこれを指しても「相対主義」という言葉を使っているように思うが、これは上で挙げた二つの相対主義のどちらでもない。

 また、別の問題になる。

 さらに重要なことに、もし相対主義者が「彼らにも限界が見えている」と言った時、それは「相対主義」というイデオロギーに組み込まれた「彼」が見ている、単なるイデオロギー的幻想と言えるのではないか?
 相対主義者は相対主義の限界を見ることができるのか? それもまた相対主義が見せる幻想に過ぎないのではないか? - しあわせのかたち

 確かにこのように「幻想だ」と言えるかもしれないが、ではこう問うている人はいったい誰なのだろうという問いは残る。

 そもそも、およそあらゆる「~~主義」(含相対主義)が絶対主義でなくてどうする、というツッコミ(というか茶茶というか)もありえそうだ。そして言及先でsho_taさんが最後に感じている「疲れ」は単なる考え疲れではないだろう。それは相対主義のスパイラルの中でおのれの距離を連続的に測っていかざるを得ない生、その生に沈んでいく、すすがれもしなければ拭われもしない疲れであるはずだ。

web拍手

『編集長を出せ!』

12 3 月, 2008 @ 18:59:06
| 0 コメント add to hatena (3) add to del.icio.us (0) add to livedoor.clip (0) add to Yahoo!Bookmark (0) 『編集長を出せ!』 - o xein’, angellein…

編集長を出せ! 『噂の真相』クレーム対応の舞台裏 [ソフトバンク新書]2004年に黒字のまま休刊した雑誌『噂の眞相』編集長の本。Fさんのおすすめで手に取った。副題は「『噂の眞相』クレーム対応の舞台裏」となっていて、その通り出版界・週刊誌界の「作家タブー」なるものを破って作家スキャンダルを取り上げ続けた同雑誌ならではの裏話的エピソードがちりばめられている。同誌の誌面に載せた女性作家陣に呼びつけられて飲み歩いた(歩かされた)話や、有名作家の愛人関係の旅行を追った時の話などのエピソードすべてに興味を引かれたわけではなかったが、その報道に一貫する「知り得た情報はすべて書き尽くすこと」(p.231)という姿勢には頷かされるものがあった。この本を紹介してくれたFさんはマスメディア関係の仕事をされているのでなおいっそう感じるところがあったのだろう。たとえば、派閥Aと派閥Bとが対立している状況でのAからのリーク情報について筆者はこう言う。

この情報にニュースとしての価値があると判断すれば報道する。しかし、「それでは結局Aの勢力に加担して、利することになる」という意見も当然出てくるはずだ。しかし、それでもつかんだ情報やネタは基本的に公表するという姿勢が大切である。

 大手新聞の記者たちは、こうした情報を書きたがらない。警視庁や東京地検が強制捜査をぶち上げない限り、である。普段から公正というタテマエにとらわれているせいもあるだろう。しかし、この「公正でないから書かない」という判断はメディアにとってはむしろマイナス志向というべきである。メディアは国民の知る権利の代行機関にすぎないという自覚さえあれば、知り得た情報は公開するのが基本原則である。

 [略]出所が怪しい情報にかかわりたくないがために、大手マスコミはこれを書かないことを見識と思っているフシがある。だとすれば、それは公正・中立であるべきという幻想にとらわれているのではないか。岡留安則『編集長を出せ!』(ソフトバンク新書) p.228f.

 こうしたタブーなき報道主義(そして自分の立ち位置に自覚的である態度)は報道に携わる人間の言葉としていかにも頼もしい。同時に彼は言論人として批判にさらされることを覚悟しているが、厄介なのはそうした言論上での批判ではなく、スキャンダル報道が呼ぶ副次的効果、つまり「マッチポンプ」や「フィクサー」の暗躍だという。簡単に言えば「『噂の眞相』があなたのスキャンダルを探っているが、私が止めてあげるから」と代償を要求する恐喝まがいの行為だ。それについても筆者の立場は一貫している。

 こんな恐喝の共犯にされかねないリスクをメディア側が回避する手段はたったひとつ。「知り得た情報はすべて書き尽くすこと」なのだ。

 「書く」ということはこのように恐喝行為を防ぎ、また恐喝の共犯として疑われるリスクじたいもなくすし、一般読者のための情報公開もできる。まさに一石三鳥の有意義な言論活動ではないか。こんなことは当然だと一般の読者は思うだろうが、実はそうではないのが日本のメディアの悪しき実態なのだ。

 『噂の眞相』がタブーなき雑誌として評価を受けたのは、とにかく知り得た情報はすべて書くこと、公にすることがポリシーという、しごくまっとうなジャーナリズムを貫いただけなのである。岡留安則『編集長を出せ!』(ソフトバンク新書) p.229

 もちろんこれは休刊後1年以上経ってからの話だから、厳密に言うならば、ほんとうにすべて書いていたのか・書き尽くしていたのか確かめようがないし、そもそも私は『噂の眞相』を一度も読んだことがない。休刊の事情も知らない。名前を意識した頃にはすでに休刊して伝説の雑誌になっていたように思う。そして「書き尽くす」という表現にこだわるなら私自身は(厳密に)書き尽くすことと(それこそ週刊誌が得意とする)センセーショナルな見出しの消滅(あるいは編集という行為自体の消滅)とが裏表の関係にあると思うが、それについて書くことは本書の内容とはあまりにかけ離れる。

 そうした「編集」という雑誌・メディアの生命線についてはブログ「くろいぬの矛盾メモ」に記された「生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。/生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり」という言葉(これは「生の声」なのだろうか?)もまた参考になるだろう。その一方で、ウェブ・ブログの動きに絡めていうなら本書の以下のくだりも先人の言葉としたい。

[渡辺淳一氏のスキャンダルを報道し続けたことについて; gamma_ut注]渡辺淳一情報がこうした形で継続的にもたらされた最大の理由は、”情報が情報を呼ぶ”というパターンの典型例だろう。スキャンダルを売りにする『週刊新潮』や『週刊文春』といった週刊誌でも作家はタブーである。いくら情報を売り込んでも取り上げることはあり得ない。その点、『噂の眞相』では、作家ものはお家芸ですらあった。「あそこの雑誌なら取り上げてくれる」という業界内の評判を取り付ければ、後は、情報が入ってくるのをひたすら寝て待つだけでいいのだ。岡留安則『編集長を出せ!』(ソフトバンク新書) p.39f.

web拍手

ネットから離れて

9 3 月, 2008 @ 13:21:13
日々, 考え事 | 0 コメント add to hatena (0) add to del.icio.us (0) add to livedoor.clip (0) add to Yahoo!Bookmark (0) ネットから離れて - o xein’, angellein…

引越し後で10日くらいネットへの接続環境になく、携帯はつながっていたけれども携帯でネットをすることはないのでネット・ウェブ上の動きはまったくわからなかった(一回だけ短時間つないだが)。しかもテレビ・新聞のない生活なので、ラジオをわざわざ聞くわけでもなし、まったくマスメディア的なものから離れていたことになる(こう書き出して気づいたが、もし自分が株をやっていたとしたら今頃大変なことになっていたのかもしれない)。

 メディア的なものにつながらなくても困らなかった、というわけではない。予想外にポツポツと雨が降り出したときは洗濯物が心配になった。天気予報くらい携帯で見なされと我ながら思ったが、すっかり忘れていたのだ。ネットがないと引越し前に注文した家具やらなんやらの発送がどうなったのかわからず、他にも粗大ゴミの申込み先は、古本屋への本の売却は、などと時々電話しなければならない状況に追われた。電話に感じたちょっとした抵抗はきっと、電話は時間の共有を迫るがeメールはそうではないということだろう。

 ネットのことはリアルにない。ネットで触れていた人たちの声はリアルではなにも聞こえず、街を通るクルマの音、通りを歩く人の喧騒の中に埋もれているようだ。かわりに自分が覚えたのは自転車で往復した大型量販店に流れていたクレラップのCMだった。それにしたところで、あとで人に聞いたらそれはもうずっとまえのTVCMだった(1)。でも自分にとっては新しい愉快なCMだ。家のラップは真新しいクレラップどころか、旧居のさらに前の部屋からあったものだけれど。
続きを読む »

footnote
  1. こちらのクレハのサイトにある「穴あけいたずら」。 [戻る]
web拍手